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オリンピックは「国・競分離」の祭典に

斉藤和吉

 以前、サッカー元日本代表のラモス瑠偉さんが、当時の現役代表たちに「日の丸の重さをわかるべき」と叱咤激励するシーンを目にしました。

 日本を愛するラモス氏らしい言葉だと思うのですが、これは、一度でも「日の丸の重さ」を背負ったことのあるラモス氏だからこそ発せる言葉であって、いちファンやアナウンサーは心に秘めるべき言葉ではないかと思います。

 大衆がスポーツ競技の勝敗に国家の威信を結び付けて考える事で、様々な弊害が生まれているような気がします。

 そもそも、柔軟なグローバルコミュニケーションが求められる今の時代に、スポーツ競技と国家を結び付ける考えも、次第にナンセンスを感じるようになるのではないでしょうか。

 オリンピックのテニスやフィギュアスケートなどで、異なる国籍どうしの選手でペアなどを組んではいけないというルールも、残念で仕方ありません。

 開催地を巡るトラブルでも、東京、北京と様々な問題が報じられました。他国の事情を慮り真夏の東京で開催するという暴挙も、深刻な健康被害が出なくて何よりでしたが、選手たちはかなり大変な思いをしたことでしょう。

 大会終了までにかかった経費も心配ですが、残された「遺産」が産み出す、今後の経費もどうなることやら、心配です。北京でも、人工降雪機などによる水資源への影響や、電力などの問題も起こったようです。開催するたびに、スタジアムの整備などに多額の費用が必要となると、今後の開催立候補地が出てこなくなるのではと心配の声も多いと聞きます。

 この際、国家とオリンピックなどを切り離して、国ごとのメダル数などのカウントを止め、国歌斉唱や国旗掲揚も無しにし、団体戦やペアも自由にするなどしたら良いのではないでしょうか。

 団体戦など、例えばサッカーなどは、野球のオールスターゲームのようにその世界の代表選手だけ集め、適当に割り振ってチームを作るとか、サッカーのインターコンチネンタルカップのような、クラブチーム対決にするとかすれば、それはそれで盛り上がるような気がします。

 開催地にしても、毎回あたらしい「ハコ」をつくらずとも、夏ならギリシア、冬はスイスなどというように固定してしまい、同じ会場で4年に一度行えば、環境問題的にも好ましいのではないでしょうか。などと東洋のちっぽけな島国の中で、そんな理想を唱えてもオリンピックを変えることはできない事でしょうが。

 スケートボードやスノーボードで、すごい技を決めた選手のもとに、他の国のライバルたちが集まって、抱き合いながら称賛しあう姿には、多くの人たちが感動を覚えたと思います。

 まずは私たちの意識の上だけでも、「国家」の枠にとらわれることなく、どこで開催されようとも、良い演技や技術には個別に感動し、称賛し、国としてのメダルの数なんぞにとらわれることなく、純粋に選手を応援し、祝福し、楽しむようにしたいものです。

 それにしても、ショーン・ホワイト選手には、もっと完ぺきな演技で有終の美を飾ってほしかった~