月刊ライフビジョン | 家元登場

Drプリゴジンの洞察

奥井 禮喜

未知との遭遇

 1月末はオミクロン株とやらの感染拡大最盛期である。以前であればとっくに緊急事態宣言、自粛の大号令が出ていたから、客観的には無手勝流だ。かつて、コロナ波サーファーよろしく、あちらこちらの知事がメディアへの露出を競っていたのも、懐かしいみたい。そもそも専門的知見をほとんど持たない政治家・知事らが思い付きコピーを振り回すのもおかしな話であった。さすがに、3年目ともなればオズボーンのチェックリストを眺めていてもアイデアが出てこないだろう。小池氏の「感染は止める、社会は止めない」というコピーは、不評を買った菅内閣の路線であったが、社会的な反応はほとんどなかった。どなたさまも慣れと、先の見通しが立たないのでかなりくたびれたという面もあろう。実際、感染は止まらないが、社会は止めないので、どの程度をもって感染を止めるということだったのかは知らぬが、感染は止まるどころかじゃんじゃん拡大の一途という次第だ。

混乱と混沌

 人間は、状況の刺激をうけると、それに対してなんらかの適応行動をとる。注意してみると、適応行動には2つの方向性がある。1つは、状況を前提として、状況に合わせて行動する。もう1つは、不具合な状況を変えようとする。「感染は止める、社会は止めない」というコピー自体は、状況を変えようという立場であるから、後者に属する。ただし、現実はまったく効果的な手立てがないので、前者である。専門家の知見といっても、この間、目が覚めるようなものは登場していない。以前は、政治家が専門家の知見を凌駕するような「政治的判断」を打ち出したが、慣れと疲労とアイデア枯渇で、すっかり影をひそめてしまった。無手勝流である。なあに、いつかは収まる。なにをやってもボロクソに言われるのであれば、無い知恵を絞っても仕方がない。嵐が過ぎ去るまで蛸壺に入るのが上等。そういえば、昔から沈黙は金という言葉があるじゃないか——という感じである。

均衡と復元

 「先手、先手でやる」とぶち上げたものの、手駒がなくてはいかんともしがたい。専門家は、こんどの首相は自分たちの意見をよく聞いてくれると発言したが、状況に対して効果的に行動できない事態を見ると、「だからなんなんだい」と呟きたくなる。にもかかわらず、この社会はきわめて秩序穏健で馬鹿な騒動が起こらない。秩序維持の面からすると、人々はお互いに助け合っていると言えなくもない。思うに、人間社会の混乱は状況が変化するから発生する。「状況に合わせるか」、「状況を変えてやろうとするか」の2つの流れが衝突するわけだ。秩序面では、目下平衡状態であるが、状況に放り込まれた社会(人々)は、非平衡状態にある。平衡状態であれば、状況は変化しても社会の質は不変である。逆にいえば、非平衡状態は、社会の質の変化(向上)の機会である。秩序維持は上等だが、それをもって結構なことだと信じ込んでしまわないのが大事ではあるまいか。

非平衡から均衡へ

 ライフビジョン学会では1月29日、コロナ騒動で延び延びになっていた2021年度総会と学習会を国立オリンピック青少年センターで開催した。前日まで貸出中止の知らせが来るかもしれないと心配していたが無事開催できた。さすがに、センター全体が閑散としていた。コロナ騒動をものともせず! 集まったのは5人と小人数であったが、やはりZOOMとは違って話が弾む。平衡状態であろうと、非平衡状態であろうと、いや、非平衡状態であればなおさら、各人が考えている見解を述べ、交換し合って、一歩前進の気持ちを共有したい。今回の話し合いでは、状況に対する慣れと、現実主義の装いではあるが、実は場当たり的対応をしているコロナ騒動の現状に焦点を当てた。帰り道、「日本人は非平衡状態に弱いのではないか」と貴重な忠告をされたベルギーのプリゴジン博士(1917~2003)を思い出した。まだバブルが続いていた当時の慧眼である。


◆ 奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人