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それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」

渡邊隆之

 2020年のコロナ禍の下、NHK Eテレ「こころの時代」で放送され大きな反響を呼んだ旧約聖書「コヘレトの言葉」。2021年10月から再放送が始まった。6回シリーズで、筆者も月1回の放送を毎回楽しみにしている。

 「コヘレト」とはヘブライ語で「集める人」の意味なのだそうだ。作者の正体は謎に包まれているが、民衆を集め生きる知恵を語る人物だったと考えられている。紀元前に書かれた内容である。終始繰り返されるのは「空(くう)の空、一切は空である。」というフレーズである。

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 日本国内で新型コロナに伴う自粛が始まって約2年。雇止めや廃業を余儀なくされ、自殺や路上生活に追い込まれた方がいる。国外ではアジア人への差別意識がひどくなり、国内でも外国人やよそ者への差別意識が強くなっているのを感じる。自暴自棄になって他者を巻き込む火災や殺傷事件も起きている。

「コヘレトの言葉」の中で筆者の好きなフレーズがある。

 空である日々に私はすべてを見た。

 義のゆえに滅びる正しき者がおり

 悪のゆえに生き長らえる悪しき者がいる。

 あなたは義に過ぎてはならない。

 賢くありすぎてはならない。どうして自ら滅びてよかろう。

 あなたは悪に過ぎてはならない。

 愚かであってはならない。あなたの時ではないのに、どうして死んでよかろう。

 閉塞感漂う中、どうしても心が壊され乱されてしまいがちである。そんな中、理不尽な所業に対する心の「受け身」のヒントを「コヘレトの言葉」は与えてくれる気がする。決して現状に屈し諦めるのではない。事態を静観しつつ、自分に与えられた人生の短いひとときの時間をどう懸命に生きるかを説いているのだ。

 そして「コヘレトの言葉」にはこうもある。

 朝に種を蒔き

 夕べに手を休めるな。

 うまくいくのはあれなのか、これなのか

 あるいは、そのいずれもなのか

 あなたは知らないからである。

 「コヘレトの言葉」を読み進めるうちにふと、13年前に亡くなった母のことを思い出した。筆者が幼少期のある夏の蒸し暑い夜のことである。暗い蚊帳の中で自分の顔の骨を手で触っていたら急に怖くなり、横に寝ている母に尋ねてみた。「母さん、人ってみんな死んじゃうの?」

 すると母は「そうだよ。だからみんな一生懸命に生きるんだよ」と。

 母の生きた時代は戦前、戦中、戦後の激動の時代で、「女学校時代もB29が来て空襲警報で英語の授業がよく中断した。」と話していた。そんな母は60歳を過ぎて、英語の勉強を開始する。また、戦時中に下宿していた朝鮮の方の消息を調べるため、ハングルの勉強も始めた。母が亡くなった病床には、身内も読めないハングルの単語カードがいっぱいあった。

 女学校卒業後は労働組合で多忙を極めた。当時は、ちょうど安保闘争と高度経済成長に差し掛かったころであり、女でも机の上に寝泊まりしていたと笑って話していた。

 晩年は独り暮らしのお年寄りへの絵手紙描きと、目の不自由な方への朗読録音が日課だった。それは母なき後もその方たちの心の支えになっていたようである。

 ステージⅡの癌が発見されてから2年で逝ってしまったが、本人は「昨日より今日の方が調子がいい。だから明日はもっと良くなる。」と常に前向きだった。「社会の役に立たなくなった」と嘆く他の癌患者の女性に対し母は、「戦争の時代にいったい何があったのか、私たちには次の世代にしっかりと伝える責任がある」と病室で檄を飛ばしていた。自分の親ながら、生命感の溢れた見事な一生であった。

 確かに、自暴自棄になりたい境遇の方もあろうが、決して生きることを諦めないでほしい。誰かがきっと見ているし、応援している人もいる。セーフティネットも探せば何か、見つかるはずである。

 筆者も髪に白いものが目立つ年齢になってきたが、残りの人生のひとときを何に費やし、何に幸福感を得、次世代に何を遺すか、思案と試行錯誤中である。多くの方々がしなやかで強い心を持ち、一歩ずつ踏み出すことで世の中が好転することを望みたい。その際に「コヘレトの言葉」がきっと強い味方になってくれることを無神論者の筆者も確信している。

    NHK Eテレ こころの時代 それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」
    放送日 2021年10月~2022年3月  第3日曜日午前5:00~6:00 
    参考文献  「聖書」(聖書協会共同訳)日本聖書協会 2018年