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菅総理の運とツキを詠む

司 高志

 菅総理の運は尽きた。今回は菅総理の運とツキについて考察してみたいがその前に。

 本欄では紹介してなかったが、菅総理が辞任を決断したら、厄介なことになるとひそかに考えていた。それもこんな形で…。

 「コロナ対策の失敗の責任を取って辞任します」と。そうすると、失敗はリセットされ、次の総理の支持率は、自民党の支持率とセットで爆上げだ。

 ということで、総理の行動を注意深く見ていたのだが、政調会長を恫喝して総裁選の立候補から降ろすあたりまで、やる気は満々だった。

 だが、総裁選前に党幹部、閣僚の人事を入れ替えて総裁選に臨もうとしたのが、「最後の運」の尽きだった。こういう禁じ手の奇策を用いると、その反動は大きい。菅総理が総裁選で敗れればすぐに解任で、次のイスの目も当分なくなる。誰もが沈みゆく船の乗組員にはならなかったので、この作戦は実行できなかった。最後はポエマー環境大臣に説得されて、総裁選不出馬というなんともかっこ悪いことになったばかりか、ポエマー大臣に説得の内幕までマスコミにバラされ、踏んだり蹴ったり状態だった。

 どうしてこうなるかの前に、運とかツキについての考えを述べたい。人間ある程度まで生きると、完全にラッキーばかりとか、最初から最後までドツボ人生なんてことはまれにしかなく、総じて運やツキの総量は似たり寄ったりになってくると思っている。

 そこで、運やツキを大事にしようと思えば、努力と徳積みが必要になってくる。試験勉強でもヤマをかけなければ、ヤマが当たることもない。ヤマをかけるのは正攻法ではないが、これだって努力の内だ。プロの選手や仕事人たちは、ほぼ同じくらいの実力を持った者たちで競っているので、努力は必須の事柄だ。好機をものにできるのは、それを生かせる実力があってのことだ。

 徳積みは、競争自体にはあまり関係ないが、間接的にはツキの揺らぎを生じさせることができる。徳を積んでいれば、この人に何かしてあげようという思わぬ協力者が現れたりする。逆に徳がないようだと、重要なキーパーソンに愛想をつかされて、出て行かれるかもしれない。一見競争には関係がないようだが人と人が競っている以上、人の協力が得られた方が、よいことが起こりやすい。

 さて、それでは、菅総理のコロナ対策を考察してみよう。菅総理のコロナ対策は、何もせず、自然にコロナが収まることを期待した運否天賦の賭けだった。

 本当に心底何もしなかったと思う。やったのは、切羽詰まって自分の保身が怪しくなってきたから、猛烈にワクチン接種を始めたことくらいだ。運を味方につけるには努力が必要だったが、努力は一切行っていない。

 また、国民のために仕事をするといいながら一切、国民のことは考えず、利権団体への利益誘導に走った。徳も全く積んでいない。特に緊急事態と言いながら五輪を強行したのは間違いだった。

 この五輪の強行が結果的に、ツキを落とした直接原因であると考えている。五輪の強行により、五輪期間中は、解散時期を自由に選ぶことができなくなり、五輪の強行が国民に、命よりも重要な利権があることを知らしめた。総理の発言ではないにしろ、コロナはさざ波程度という発言も飛び出し、多分これが心の底からの本音だろうが、十分に医療が受けられず、容体が急変してお亡くなりになった方やご家族にとっては、たとえ統計的に少数ではあっても、非常に悲しいことである。数値では表せない悲しみを誘発したことは、この政権にとって潜在的には、大きなダメージになったと考える。徳のあるなしでいえば、徳はなかった。

 このようにして、五輪によりスケジュールが自縄自縛となり、最後は辞任が待っていた。

 振り返れば、9月の中旬頃から解散できるレベルに落ち着いていたのではないかと思う。非常に不思議に思ったのは、総裁選への不出馬を宣言して、コロナ対策に専念すると言ったすぐ後から、新規の感染者が減ってきたことだ。蛇足で書かせていただくと、この状況がなぜ起こったのか、科学的に要因分析をしておかないと、すぐにぶり返すかもしれない。ぜひ解明していただきたい。減少の原因がわかれば、継続させることは可能であろう。

 それにしても、菅総理はなんとツキがないのかと残念がっているかもしれない。いわば何にもしないでコロナ対策したことにできるという、総理の描いた理想形がやってきたのだ。皮肉なことに総裁選不出馬というあとにそれがやってきて、その時期が思い描いた時期とほんの少しずれただけだ。摩訶不思議だ。

 こうして菅総理が総理の座からいなくなったことで、野党の楽勝はなくなった。野党の皆さんには努力と徳積みに励んでいただかなければ、大敗もありうると思う。