月刊ライフビジョン | 地域を生きる

地域型「サードプレイス」への転換を

薗田碩哉

 横浜市長選挙の結果が出た。隣りの町だしわが愛する故郷だし、友人たちも多いので関心を持たざるを得ない。候補者が乱立して、カジノ推進の現市長はもちろん、旧県知事が2人、元国家公安委員長まで出て計8人、どうなることか思っていた。菅首相は負けてはならない地元でもあり、子分の小此木八郎元国家公安委員長を推して勝算十分だったようだが、どっこい蓋を開けてみたら、圧勝したのは弱冠48歳の元横浜市大医学部教授山中竹春氏(このお名前は里山の春を連想させて好感)。50万票を集めるぶっちぎりの勝利だった。野党共闘が功を奏し、他面、港湾荷役を束ねて横浜では知らない人のいないハマのドン、おん年91歳の藤木幸夫氏の支持を得たのも貢献したはず。藤木氏は本来、菅首相につながる人物なのだが、カジノには強烈に反対していた。それはそうだろう、カジノ計画は横浜を外国資本に売り渡す愚挙であり、浜っ子なら誰も山下埠頭をラスベガスのまがい物になんかしたくない。

 折しも政府のコロナ対応への無策とちぐはぐ――非常事態というブレーキを踏みながら、オリパラというアクセルを踏むのだから車が壊れて当然――その結果、「感染爆発」とも言える状況が全国に広がろうとしていて、内閣支持率が急落しつつあった。カジノで始まった市長選びが「コロナをどうする」という問題にシフトし始めたところに、医学部のセンセイでコロナウィルスの研究もしていたフレッシュな人物が登場したのだから、多くの市民が期待感を持ったのは理の当然。もちろん選挙では勝っても、今後の市政の運営は大変だろうが、ともかく、コロナはカジノを横浜から駆逐してくれたのだ。

 前々回にも本欄に書いたように、コロナ禍は私たちの地域生活に大きな変容をもたらしつつある。その一面を「サードプレイス」という視点から見てみよう。

 近代人の生活を居場所という面から考えると、まず第1に自分の住居、家庭があり(ファーストプレイス)、第2に働きに出かける場所、職場(セカンドスペース)がある。農業の場合は1と2は同一だったり近接しているが、労働者やサラリーマンは、1と2の間が大きく離れていて通勤しなくてはならない。東京圏では1時間以内に職場に到着できる勤労者の方が少数派だという。かくて満員電車に長時間押し込められる通勤地獄が出現する。都心は周辺部から、朝には膨大な人口を吸い上げて過密都市を出現させ、夜にはそれを吐き出すという巨大な呼吸を繰り返している。

 人々は1と2の間を単純に往復するだけではない。終業後のわずかな余暇時間や休日ともなれば、家庭でも職場でもない、もう一つの場所に赴いてさまざまな活動をしている。これが第3の場=サードプレイスである。

 アメリカ人のレイ・オルデンバーグが書いた『サードプレイス―コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』という本(翻訳が出たのは2013年、みすず書房)が最近再び注目されている。オルデンバーグは、産業化―効率化―合理化を極端にまで押し進めてきたアメリカ社会に生きる人々が孤独地獄に陥っているとして、そこからの救済を人々が自由に集まって作るたまり場に求めようとしている。アメリカのバー、イギリスのコーヒーハウスやパブ、フランスのサロンとカフェあたりから、ヨーロッパや南北アメリカ各国の酒場の紹介と比較検討を行っている。日本は残念ながら出てこないが、その分を『飲めば都』という愉快なタイトルで、日本中の居酒屋探訪記を書いた異色のガイジン大学教授マイク・モラスキーの解説が補っている。

 世界中に存在するサードプレイスは、日本にも当然、はるか昔からあるわけだが、現在の日本のサードプレイスはセカンドスペース(職場)に引き寄せられすぎているという大問題がある。どなたも胸に手を置いて、自分にとっていちばん居心地のいい場所――行きつけの飲み屋とか、気の置けない友人たちと集まる場所がどこにあるかを考えてみたら、それが職場の周辺、通勤時のターミナル駅のあたりであることに気がつくだろう。私のサードプレイスが家庭を取り巻く地域にあるという人は(筆者のようなリタイア老人は別として)圧倒的に少ないだろう。

 コロナ禍で抑圧されているサードプレイスは、やがてある程度までは復活するに違いない。その時こそ、これまでの職域偏重のサードプレイスを地域に力点を置いた場所に住み替えるチャンスである。コロナ禍がもたらした「家庭と地域生活の再発見」の流れに乗って、地域型サードプレイスの発見と創造に努めたいと思う。日本の地域社会が疲弊し、住民はお互いがバラバラで、災害でもなければ助け合いができない状況を少しでも改善し、自由な時間を地域に持ち帰って、そこに住む多彩・多様な人々との交流を楽しむことが重要だ。それは仕事の帰りに気の合う同僚と群がって、会社や上司をこき下ろして溜飲を下げるよりももっといい時間を共有できる。地域の集まりでは、自分の職場の愚痴など誰も聴いてくれない。オルデンバーグの言う「見知らぬ者どうしの気楽で面白い混交」によって、生きることを楽しくし、地域社会を活気づける話題が交わされるはずである。

 地域のサードプレイスには、もちろん居酒屋もカフェあれば、さまざまな飲食店や個人商店、さらには本屋、銭湯、理髪店、公共施設の図書館、博物館、公民館、コミュニティセンターなども挙げることができる。そこで人は家庭や職場での役割から解放され、一個人としてくつろげる。その上で新たな仲間を見つけてみんなで遊んだり、勉強会をやったり、さらには、地域のNPOを作って「こども食堂」を起業しようなんて話も出るかもしれない。筆者も現在、自分が関わっている地域型サードプレイスを再点検し、新たな展開を期しつつ、コロナ禍の収束を待ちわびている。


【地域に生きる 2021年9月】  【地域のスナップ】

 田んぼの稲が実り始めた。一本の茎がいくつにも枝分かれして(分げつ)広がり、田んぼ全体を埋め尽している。穂が出始め、実りの秋へと準備が進む。早くもイナゴの大群が現れた。田んぼの守り神として、みんなでカカシを作って立てた。カカシさん、無事に収穫できるように、田んぼを見守ってください。

薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。