月刊ライフビジョン | メディア批評

政治に緊張感を取り戻すには選挙しかない

高井潔司

 菅首相はよほどいいところのご出身のようだ。緊急事態宣言を21都道府県にまで拡大を決定した8月25日の記者会見で「明かりははっきり見え始めている」と語った。これほど国民感情からかけ離れた発言はないが、何事もいいところしか見ない、ご立派な性格である。

 記者から重ねてその根拠を聞かれると、ワクチン接種が進んで重症者に占める高齢者の比率が低くなったこと、諸外国に比べ感染者などの数が少ないと、相変わらずの楽観論を披露した。感染者も重症者の数も爆発的に増加している。若者の重症化も顕著になり、病床のひっ迫も日増しに激しくなり、治療を受けられないまま自宅で亡くなるケースさえあるというのに、そういう点は見ないようだ。集団就職組だったなどと言われることもあったそうだが、調べてみるとイチゴ栽培で成功した富農家庭の出身という。ただし、菅さんの場合、正確に言えば、物事のご自身にとって都合の良いところしか見ないのだ。

 26日付朝日新聞4面の連載「漂流菅政権 コロナ」によると、「自民党関係者は、そもそも『総理の頭の中は、楽観シナリオが占めている』。自ら好む主張や見通しには積極的に耳を傾けるが、それ以外には関心が薄いと解説する」という。さらに連載記事は、「首相はこのところ『日本は圧倒的にうまくやっている。英国は10万人くらい亡くなっている』などと周囲に語り、政府対応を自賛していたという」と裏話を伝えている。数か月前、コロナ禍について、「欧米に比べたら、日本はさざ波」と失言して内閣参与を辞職した大学教授がいた。極論を吐いて周辺を笑わせ、首相を擁護する道化者だ。この政権の下では、道化者が重用され、まじめに研究をする学者が学術会議などから排除される。道化者の無責任な発言が首相の頭からしみついて離れないのだろう。

 朝日の連載記事の主見出しは「4度目宣言届かない言葉」だった。面白いことに、同じ日の読売新聞では前日の緊急事態宣言拡大に関する菅首相の記者会見の内容が一切報道されていなかった。冒頭の「明かりが見える」発言もなし。NHKではこの記者会見をニュースウォッチ9の時間を延長して実況中継した。パラリンピックの中継をカットするほどの重視ぶりだ。朝日も一面トップ記事の中に発言を織り込み、さらに会見の要旨も掲載している。読売は記事の中でも触れず、別建ての記事もない。あるのはこの会見で、総裁選挙後自民党の役員人事の実施は白紙と述べた点だけだ。

 政権寄りの読売がどうしたことなのだろうか。もはや首相のコロナ発言など報じる価値がないと考えたのだろうか。それとも「明かりが見える」発言は失言と判断し、報じない方が政権のためと忖度したのだろうか。いずれにせよ、最大発行部数を誇る新聞が会見の内容を報じないようでは、朝日の見出しの通り「届かない言葉」である。届かない、伝わらないではなく、伝えるべきメッセージがないということだ。その点では、慣例にしたがって記者会見を報じたNHK、朝日より読売の方が本来あるべき報道だろう。私たちは、逆に国民の声も、首相の耳には届いていないことを忘れてはならない。

 国民感情を理解していないといえば、若者たちへのワクチン接種を進めようと、渋谷に予約なしでも接種ができる接種会場を設けると発表した都知事、抽選で自動車が当たると宣言した群馬県知事も同様だろう。若者はコロナ感染を軽く見ているとの判断からそうした措置を取ったのだろうが、ふたを開けてみると、早朝から長い行列ができ、接種時間前から「終了」の札を出す始末となった。コロナ軽視の若者がいるのも事実だろうが、大半の若者が不安におののいているのを理解していなかった。自動車の景品を付けるなんてアメリカの真似をして人気をとろうとするとは、あさましい限りだ。

 こういう国民の感情を理解していない政治家、お役人たちだから、コロナ対策は後手後手に回るのも当然のことだ。彼らに危機感を持たせるには、選挙で落選するかもという不安を持たせることが一番の薬だ。目前の自民党総裁選挙は、世論を無視した派閥の思惑先行レースで、菅首相に危機感を与えるのは難しい。

 衆院選挙しか手はない。横浜市長選挙では保守の分裂選挙で漁夫の利を得た野党だが、それに満足せず、しっかりとしたコロナ対策、経済再建策を打ち出し、現政権の怠慢、傲慢を、とことん追及してほしい。何より国会に、そして政治に緊張感を取り戻してもらいたい。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。