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「上げられない」が止まらない

音無祐作

 東京の下町にあるわが町内会は、地元の祭りに協賛して屋台の出店を恒例としています。ある年、フランクフルトを販売した時のこと。町内会は非営利団体なので利益が出てはいけないからと、それまでは材料原価のままで販売していたものを、経費も掛かるのでと販売価格を上げました。去年の値段なんか誰も覚えていないだろうとタカをくくっていたのです。ところがどうでしょう。何人かの子どもたちやその親御さんから、「去年より上がったんですね」とのご指摘。皆様の記憶力と価格への敏感さにびっくりし、商品価格を値上げする難しさを実感したものです。

 モノの値段が上げられないのはデフレだから仕方がない、と一蹴されそうですが、そうでない商品もあります。たとえば自動車の価格では、ここ30年くらいはとても上昇したように感じます。

 30数年前、スカイラインにGT-Rが復活した際、約400万円というプライスタグには日本中の車好きに衝撃が走ったものでした。ところが今では、スカイラインの一番安いベースグレードでも400万円以上します。車格が変わったということもありますが、自動車全般の価格を見ても、30年前に比べると明らかに、6割程度は上昇しているように感じます。

 この間の消費者物価の上昇は15%程度のはず。安全装備の充実などによる影響も大きいですが、自動車という商品が国際的な販売価格や原材料価格などの影響を受けやすいということもあるのでしょうか。そう考えると、モノの価格はどう決められるのか気になります。

 先日のニュース番組によると、日本ではひと皿100円で提供している回転寿司チェーンが、ニューヨークや上海などでは300円程度とのこと。ネタやシャリの仕入れ価格が高いせいかと思えばそうでは無く、むしろ高いのは人件費なのだそうです。ひと皿300円では消費者のお財布が大変だろうと思ったのですが、他のお店のランチでも3000円を超えることはざらにあるそうで、利用客はそれほど気にしていない様子でした。ニューヨークや上海などの国際的な大都市は特別だとの見方もありますが、最近では新興国と呼ばれる地域の方ですら、日本の物価を安いと感じる事があるそうです。

 どうしてそうなったのでしょう。企業がひたすら価格競争に明けくれ、競争力確保のために人件費削減にこだわり、労働者や組合もそんな方針に忖度し続けたことも一因ではないでしょうか。こんな状況が進めば、輸出は有利になるかも知れませんが、私たち国民の生活はどうなってしまうのか不安になります。

 コロナ感染症の影響が減りゆくであろうとの希望的観測の下で、世界的に物の値段の上昇傾向が現れ始めているようです。国内でも一部の分野では、原材料費の高騰により、製品価格への転嫁を余儀なくされ始めています。そうした動きに私たちはどう対処していくべきか。が問われようとしています。

 毎年モノの値段が上がるインフレ時代を経験している私たち世代ですら、いまやモノの値段が上がることに過剰なアレルギー反応を有しているような気がします。

 「所得倍増計画」を謳った池田勇人首相(1960-1964)も、最初はふざけたことを言っていると叩かれたそうですが、現在の状況打破にはその頃以上の発想の転換が必要なのではないでしょうか。政府や中央銀行がいくら知恵を絞っても、デフレは容易には解消できないということを、この20年くらいの間に思い知らされました。企業や私たち一人ひとりが、大きく発想を転換しなければ、この危機は抜け出せないのではないでしょうか。そんなことを考えながらスーパーに行き、3パック75円の納豆に手を出してしまう自分に気づいてちょっと、情けない…。