月刊ライフビジョン | 地域を生きる

ルポ・集中治療室より

薗田碩哉

 多くの国民の危惧や反対を押し切って、しかも開催間際に次々と不祥事が出来(シュッタイ)しその金権体質がますます明らかになる中で、結局は無観客というオリンピックが始まった。専門家分科会の尾身会長が予告したように、街ではこれまでになかった規模の感染爆発がまさに起きようとしている。その状況を筆者は地域の大学病院の一室で見守りながら、この原稿を書いている。

 後期高齢者なのでコロナワクチンの接種は7月はじめに終わった。ところが中旬ぐらいから首が前に落ちはじめ、歩くのも難儀になった。そこに発熱、ついには呼吸がゼイゼイし始めた。これはヤバい。隣り町の病院の発熱外来へ赴いてPCR 検査をはじめいくつもの検査を受け、PCR陰性を確認した上で救急車に乗せられ、町の南部にある大学病院の集中治療室に担ぎ込まれた。まさか即刻入院とは思っていなかったが、直ちに人工呼吸器が装着され、口・鼻・両腕・首・そして尿道まで合計6か所に針や管が差し込まれて身動きもならない磔(ハリツケ)状態になってしまった。ここまでの医療側の手順は滞りなく迅速で、お見事というしかなかった。

 それから5日間の集中治療室(ICU)暮らしは、身体の自由の全くない、医療機械に支配される哀れな生命体、次から次にやって来る医師、検査師、ナースたちに辛くも支えられる毎日だった。人工呼吸器が入ると声も出せないので、意志や気分はわずかに動く手で紙にメモを走り書きして伝えるしかない。面会はコロナ対応で一切禁止(カミさんとは入院以来、スマホの声しか聴いていない)なので「地獄のICU」だと今は友人たちに大げさに吹聴している。だが本当のところはそれほどでもない。息は苦しくないし、栄養分は管から補充され管で排泄されるので面倒はかからないし、眠っていることも多く、目を閉じればさまざまな幻覚が現れ、フルカラーの美しい風景の中をゴンドラに乗って飛んで行く臨死体験みたいのもできた。改めて発見したのは、身体は拘束されていても考えることは全く自由で、何の制約もないということである。いろんなことを考え、忘れないためのメモを必死に作った。後で見直してみると、われながら、なかなかいいことが書いてあるではないか。

 今はICUを出て8階にある眺めのいい一般病棟に移り、症状は安定して療養に務めている。実は筆者には難病に指定されている「重症筋無力症」という持病がある。神経から筋肉に脳の命令を伝達する化学物質に対して、それを異物とみなして阻止しようとする抗体を何と自分自身が作ってしまうという、過剰免疫反応である(まったく自分で自分に逆らうなんて余計なことをする、いやな性格だ)。そのため筋肉は正常でも動きが止まり、まぶたが勝手に閉じたり二重視が出たり、喉の呑み込みが悪くなったりする。これまでは病気はあってもめったに発症せず、出てもまぶた落ちぐらいだったのに、今回、発熱と合併症が現れて呼吸困難にまで一気に進んだ。その原因はよく分からないが、もしかして過日受けた、コロナワクチンの副反応かもしれない、免疫のシステムに関わることなのだから。

 ともあれ、病室に座って思うことは、医療体制には常に余裕が必要だということである。どんな事態が生じても余裕をもって受け入れてくれる医療機関が近くにあることが何よりの安心をもたらす。そのためには医療費削減を振りかざして、ベッドの稼働率を病院経営の指標にするような医療政策はぜひ見直さなければならないと思う。コロナ騒動のポイントは、感染者数で一喜一憂するのではなく、検査体制・治療体制の余裕をできる限り広げていくことであるはずだ。この病院にももちろんコロナ病棟が設けられているが、その利用者がじりじり増えているようだ。コロナに対処する余裕がなくなれば一般診療にもやがて大きな影響が出るだろう。突然倒れた市民が、行き場がなくてむざむざ死ななくてはならないという事態に陥ることは避けなければならない。

 ベッドで宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)を読んでいる。その一節にこうある。「日本の医療制度の矛盾を一言でいってしまえば、それは、医療的最適性と経済的最適性の乖離ということではなかろうか。」(175㌻)

 儲け主義医療から脱却して、私たちの大切な「社会的共通資本」である病院をいかに守り育てるか。わが住む町に戻ったら、そのことをしっかり考え直してみたいと思う。


【地域に生きる 2021年8月】    

 7月の合歓の里では、田んぼの稲がすくすくと延び、その分、雑草も生えてきた。みんなで草取りをした後、子どもたちはホットケーキに挑戦、いっぺんに7枚も焼ける優れものフライパンでミニ・ホットケーキを量産、美味しくいただきました!


 薗田碩哉(そのだ せきや)1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。