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治者と被治者の自同性

渡邊隆之

 6月17日、代議士の山尾志桜里氏がこの任期いっぱいで政界を引退する旨の発表をした。気骨のある政治家として筆者も注目していた議員のひとりであり、ここでのリタイアは正直残念な気もする。憲法審査会では憲法裁判所のあり方について提言し、人権侵害対処法についても検討していた。安倍・菅政権に対して立憲主義や法の支配について論理的に立ち向かうこともあってか、政権に忖度する週刊誌やネット住民の下世話な誹謗中傷を浴びることも多かった。

 山尾氏のツイッターでは政界引退メッセージの中で大事な点を指摘している。それは「政治家という仕事を経験して政治家一筋というキャリアが標準のモデルであることに何度も違和感を覚えた」という点だ。大事なことは永田町のプレーヤーの交代で、①現職であっても毎回予備選をやること、②議員の任期を制限すること、この2つがあれば新陳代謝をシステム化することができる、とする。政治家以外にもやれることがあり、やりたいことのある人が期間限定で政治家をやるほうが、次の選挙のために必死になる労力と時間を任期中の仕事に振り向けることができてよいのではないかとする。

 国会議員の仕事は激務である。だから、仮に当選し続けるとしても、毎回本気で仕事に全力投球するのであれば議員自身の身体ももたない。また、締め切りのない仕事は生産性の低下を招く。長期的な視野に立った場合、国会の構成メンバーが一定サイクルで変わることはかえって国会の活性化につながる。

 確かに立法過程や交渉過程においてカンや経験が生きる場面もある。しかし、国会の構成メンバーが固定化することが必ずしもよいとは限らない。外部環境が大きく様変わりしており、以前の成功体験が通用するとも限らないからである。

 思うに、民主主義とは治者と被治者の自同性(同一性)をいう。統治する者もいつか統治される側にまわる場合があるので、統治される側のことを十分に考えて立法や行政が行われるべきである。また、統治される者も生活を取り巻く諸問題について「統治する側」にまわり、自ら問題解決の案を提示できるようにするのが望ましい。

 しかし、実際には国会議員として新規参入するのはハードルが高い。まず選挙供託金の額が高い。出馬の際の離職や議員任期満了後の民間会社等への再就職の不安も払拭できない。選挙制度の不備が指摘されても、現政権にメリットのある選挙制度はなかなか改変されない。既存政党には多額の政党交付金が支給されるため、個人でまたは小さな政党から出馬するには資金面で不利な戦いを強いられることになる。

 また、めでたく当選しても、政党内で大きな発言権を持つためには与野党問わず当選回数を重ねて役職に就かないと難しいという。しかし、それでは旬な話題に対し活きのいい政策提案ができない。巷では人生100年時代といわれるが、自民党の50代が「若手議員」と呼ばれることに筆者は非常に違和感がある。一般企業なら役職定年か希望退職の対象年齢ではないか。新規参入者の活力を「政党」が削いで陳腐化しているのだ。

 「期間限定で政治家」という言葉でふと思い出すのはかつて民主党から出馬した福田衣里子氏である。薬害肝炎訴訟の原告だった彼女は「悪しき政治によって命が奪われることがあるが、政治が正しく機能すれば多くの命が救える。それこそが政治の本来の使命だ。」と2009年8月30日実施の第45回衆院選に長崎2区から出馬し当選する。任期は1期3年3か月だったが、肝炎対策基本法・B型肝炎救済法・カネミ油症救済法の成立に尽力し、そのほかにも主に厚生労働分野のフィールドで活躍した。弱者を「守る」ではなく、「同じ目線」で戦い、強い者目線の新自由主義に抗った人だった。当時の政治理念や政策については今もWikipediaやブログで目にすることができるが、いずれも次の選挙でも十分通用する内容だ。それだけ政治による問題解決が停滞していることの証左でもある。

 選挙制度や国会での慣習はなかなか変わらない。しかし、今は国会の外でもSNSで意見表明や資金調達が可能である。特に期間限定で国会議員を務めたいという女性が増えれば、子育て・介護・非正規雇用・ジェンダーギャップの問題について強く切り込むことができ、長期目線で活力ある社会を取り戻せる。民主主義は治者と被治者の自同性(同一性)をいい、本来、治者と被治者との間に敷居の高さはないはずである。豊かで幸福な生活を実現するために、主権者のわれわれひとりひとりが国会の内外でどう政治に参画していくか考えていきたいものである。