月刊ライフビジョン | メディア批評

五輪開催へなだれ込むのか、政府とメディア

高井 潔司

 コロナ禍の先行きがいっこうに見えない中、5月は2度にわたって東京などに対する緊急事態宣言の延長、北海道などへの適用拡大などが決まった。これほど政府のコロナ対策が場当たりの失策であることを示したものはないだろう。それでもオリンピックを強行しようというのだから、「国民の命と安全を守る大会」どころか、脅かす以外何ものでもない。

 私は先月号で「政府の方針を既成事実する先読み報道」の問題点、それに「ゴム印でも責任をとらされますよ」と専門家に警告し、政府の専門家会議の悪用ぶりを指摘した。14日の「基本的対処方針分科会」(専門家会議)の動きとそれを受けた報道の混乱はまさに私の指摘通りの展開だった。会議では、政府の図った案(宣言地域の拡大なく、群馬、石川、岡山、広島、熊本の5県に「まん延防止等重点措置」を適用のみ)に対し、専門家から「反対論が噴出し、異例の方針転換となった」(朝日5月15日)という。

 専門家の‟勇気ある“発言は、もちろん私の指摘を読んだからではない。コロナ感染の現状を踏まえれば当然出てくる声であり、専門家として当たり前の発言だろう。その声こそが本来、会議に求められてきたはずだ。経済優先の政府が専門家会議の趣旨を歪めてきただけのことである。この状況をチェックするはずの新聞が「異例」などと驚いていては困る。

 前日14日の朝日を見てみよう。一面トップで、「まん延防止5県追加へ」「群馬・石川・岡山・広島・熊本」との見出しで、「14日に専門家らによる『基本的対処方針分科会』に諮り、政府対策本部で正式決定する」と、政府の方針を先読みして報じている。専門家の異論などどこにも予想されていない。まさに政府の方針を既成事実化して、専門家に“ゴム印”を迫るような報道になっている。

 しかし、記事をしっかり読んでみると「10日時点で、直近1週間の10万人あたりの新規感染者数は群馬で27人、石川で29人、岡山で47人、広島で32人、熊本で29人で、ステージ4の基準25人を超えていた」、「病床使用率は群馬で65%、石川で83%、岡山で69%、広島で51%、熊本で51%と、やはり同基準の50%を超えた」と、厳しい現状も伝えている。ならば、専門家に対して、緩やかな政府の諮問案で大丈夫なのかどうか、取材しその意見を伝えるか、政府の諮問案の甘さを批判する報道があって然るべきではないのか。政府の方針を先々伝えるだけの報道に終わっているから、そうした視点が生まれないのだ。

 そんな報道を基に書かれる社説はもっと醜悪だ。15日の朝日社説は「専門家の強い危機感を受けて、方針を転換すること自体は理解できる。しかし、そもそも菅首相はじめ政府の認識は甘くはなかったのか、自治体や専門家との事前の意思疎通は十分だったのか、不安は拭えない」と、一応政府の対応を批判しているが、その見出しが「専門知を生かす転機」と呑気なものである。コロナ対策で、専門家の意見を聞いて方針を決めるとのプロセスはこの1年間繰り返されてきた。まあいつもいつも「ここが正念場」と聞かされ、うんざりして来たのは、飲食店関係者ばかりでなく、国民全体がそう感じてきた。それが、今頃まだ「専門知を生かす転機」とはどういうことか。

 要するに、専門家会議とか分科会とは、専門家から「ゴム印」を貰うだけの会議だったのだ。なぜそれをこれまで批判してこなかったのか。朝日ばかり取り上げ批判しているようだが、比較的まともな朝日でもこの体たらくだから、他紙は推して知るべしだ。

 一つだけ、読売の奇妙な記事を紹介しておこう。5月4日の読売1面に「ワクチン接種が7月完了1000市区町村」「高齢者向け全体の6割」とあった。同じ2面の「接種前倒し、自治体急ぐ」では、首相がはっぱをかけたので「650市町村が1000に増えた」と首相を持ち上げる記事となっている。そもそも首相が7月末を念頭に接種を終えると言っているわけだから、6割しか完了できないとしたら、首相の見通し、認識の甘さこそ批判されるべきではないのか。批判までせずとも、首相の指示だけでなぜ増えるのか、本当に実施可能なのか、増えたことに伴う、混乱トラブルはないのか、取材を深めるべきだろう。そう思って読売の先輩にメールしたところ、こんな返信があった。

 ―― コロナ接種関連記事の1,2面は、読売独自の調査と、例のごとく政府側からの「頂き情報」からなっていますね。これは、本当に、客観ニュースとしては恥ずかしい、いい加減な内容です。

 例えば、一般高齢者接種を始めた自治体として「中野区や名古屋市、広島市など13市区」を挙げ、「少なくとも計約1万200人の接種を終えた」とありますが、とんでもない。面目を施した「中野区」は既報のごとく、4月23日に75歳以上の高齢者の優先接種の受付を数分で終了しましたが、接種申し込み終了者は全区民33万人のうちの4%の1400人に過ぎません。それも日現在の接種終了者(一回目)は推定200人。接種は、428日から516日までのうちの、計7日間の接種がはじまったばかりですですから、読売の「接種を終了」は眉唾ですね。

 読売社会面の表でも中野区は高齢者接種「開始済み」となっていますが誤解を生みますね。高齢者(65歳以上)は区民の20%(約6万7000人)で、接種申し込み終了者1400人はその2%、接種を終えた200人は、なんと0.3%です。「開始済み」が赤面です。――

 その後、ワクチン供給が進み、中野区でも状況は改善されているようだが、この時点での先輩の指摘は鋭い。私のメディア批評などはまだまだ読み方が浅く、甘い。

 日本のコロナ感染状況を「さざ波」、緊急事態宣言を「屁みたいなもの」と表現し、SNSで発信した高橋洋一内閣参与が辞職した。当初、菅首相らは「彼からコロナ対策を提言してもらっているわけではない。個人の意見にコメントしない」とかばっていた。だが、それは高橋発言が政権の「本音」であるからだろう。ネット上でも、政権にゴマする評論家は、欧米などに比べ感染者数が少ない日本の現状の見えない国民を「裸の王様」と揶揄し、高橋氏を擁護する。だが、彼らこそが、病院で治療も受けられず自宅で亡くなる人々の無念の思いが見えない「裸の王様」ではないのか。

 政府のコロナ対策は、感染症の専門家の意見を踏まえつつ、政治状況、経済状況をも勘案しつつ策定するのだから、内閣参与の経済提言も当然、そこには反映される。都合が悪くなると、コロナと経済は別などと言い訳する。高橋元参与同様、「さざ波」、「屁みたいなもの」と考え、ただ世論の動向、何より内閣支持率ばかりをにらんで、場当たり的な対策を打ち出すから、いつまでもコロナを抑え込むことができないでいる。

 そして何より恐ろしいのは、このような状況下で、五輪開催へとなだれ込んでいくことだろう。国際オリンピック委員会(IOC),東京五輪・パラリンピック組織委員会,日本政府は、選手団、関係者にワクチン接種を施し、来日後も定期的なPCR検査を行い、競技場と選手村、専用ホテル以外の外出を規制して万全な体制で臨むとの方針を明らかにしている。これを称して「バブル方式」というそうだ。関係者を泡で覆い、安全を確保する。すでに全豪オープンテニスなどで実施済みという。

 しかし、「バブル」とは言い得て妙。何と不安を搔き立てる不吉な命名だろう。バブルははじける。全豪オープンなどと違って、何万という報道関係者、ボランティア、医療関係者が、バブルの内外を毎日、行き来する。オリンピックは規模が違い過ぎる。バブルは大きくなるほどはじける危険性が高いのは、子供でも知っていることだ。

 各種報道によれば、東京五輪の準備状況を監督するIOCのジョン・コーツ調整委員長は、21日、東京五輪・パラ組織委との合同会議終了後の記者会見の際、たとえ非常事態宣言下であってもオリンピックは開催すると明言した。さらに日本国内で大会開催を支持する声が少ないことについて聞かれたコーツ氏は、「日本でワクチン接種を受けた人の割合が低いことと、一部の(世論調査の)割合との間に相関性があるかもしれない」と答え、「ワクチン接種数が増えれば世論調査結果も世論も改善すると期待している」と話した。

 この人は、いくらワクチン接種を急いでも、五輪前に高齢者でさえ完了できない現実を知らされていない。いや、知っていても無視しているのかも知れない。

 五輪・パラ開催が近づくにつれ、テレビではコロナ禍の中、参加予定選手の出場に向けた努力や奮闘ぶりを伝える番組が増え、五輪ムードを高めている。同じコロナ禍、十分なPCR検査もワクチン接種も無く、勉学や就労の機会さえ失い、苦悩する若者たちも多数存在する。ある面、選手たちは特権のバブルの中にいるとも言える。世界を見れば、発展途上国のワクチン接種は恐ろしく立ち遅れている。それでも五輪開催は祝福されるのか。

 こんな記事にも呆れる。「東京はキャンセルしても、北京は冬季五輪を開催する。そうなったら日本は国際的な信用を失う」(朝日デジタル版、猪瀬直樹元都知事)。東京と北京のコロナ対策、現状は全く違う。なぜキャンセルしたら信用を失うことになるのか。論理的な説明はない。こんな時に北京を引き合いに出すとは、元知事の見識が疑われる。そんな私の嘆きをよそに、ワイドショーではなぜ習近平は東京開催を支持するのかなどという愚かしい議論をしていた。さらに、「日本側から、中止を申し出たら、莫大な損害賠償を求められる」などという説も日々まことしやかに流れ、だから開催しないわけにはいかないなどという屁理屈、言い訳が積み重ねられつつある。そもそも五輪を誘致した目的、五輪開催の意味を少しでも考えたら、このような状況下で開催することがいかに無謀であることははっきりするだろう。

 政府の方針、IOC、組織委員会の方針を伝えるだけの報道では、開催ごり押しの議論に押し流されてしまう。その方針、対策が本当に実行され、安全、安心が確保されるのか、しっかりと検証する報道がいまこそ求められている。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。