月刊ライフビジョン | 地域を生きる

コミュニティ・スクール誕生

薗田碩哉

 わたしが住むが町田市ではこの4月から公立の全ての小中学校が「コミュニティ・スクール」に移行することになった。具体的に言えば全学校に、地域住民や保護者による「学校運営協議会」なる≪合議体≫が設置され、校長が責任者である学校と協議して、学校運営の基本方針を定め、学校と地域との意見交換に基づいて協働活動を進めるというのである。学校と地域が対等の立場で学校運営に参画し、目標やビジョンを共有して継続性のある学校教育を推進しようというねらいである。

 実は町田市の小中学校には、すでに「スクールボード協議会」というのがあって、学校側と保護者や住民代表が定期的に話し合う仕組みが作られていた。ただこれは、学校側の説明に対して意見を述べさせていただきます、程度の会議で、筆者も別の町でボードのメンバーを務めたことがあるが、ありていに言えば校長先生が「オトモダチ」を集め、年に数回、学校の様子をご覧に入れて感想を聞きます、という平和な集まりに過ぎなかった。

 今度の運営協議会はこれを一歩も二歩も前進せるものである。学校の運営方針は校長が協議会に提案して「承認」を受けなければならず、日常の運営についても協議会は学校や教育委員会に意見を出せるし、教員の任用に関しても注文を付けられるということになっている。さすがに「特定の職員の任用に関する事項を除く」という留保がついているから、個々の先生について「あいつは暴力的だからやめさせろ」とは言えないみたいだが、一般論として、社会経験豊かな教員を採用すべきだ、というような提言はできるのである。協議会がこれらの権限をどこまで実際に行使できるかが問われることになる。

 文科省がコミュニティ・スクールの制度を創設したのは早く2005年のことである。学校と地域の連携や協働というお題目ははるか以前から唱えられていて、それを「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に盛り込んだとはいうものの、「学校運営協議会」については「置くことができる」という規定で、置いてもいいけれど、置かなくてはならないとは言っていなかった。そのため10年経ってもコミュニティ・スクールは全国に数百校という低迷ぶりだったので、2017年に法律改正を行って「努力義務化」を謳い、役割の充実を図った。その結果、この数年、コミュニティ・スクールが急速に広がりつつある。

 現在の学校がさまざまな問題を抱えているのは周知のことである。いじめと不登校は学校の看板と言ってもいいくらいだし、子どもたちは身体こそデカくなったが社会性はまるでないし、ゲームに狂奔して本など読まない。家庭で虐待される子がいたり、給食費が払えない貧困家庭も増えている。複雑化・多様化する学校の課題に教員の勤務負担は増大の一方、毎日残業、休日も返上で先生たちはみな音を上げている。教師という職業の人気はガタ落ちで、採用試験の倍率が2倍に届かないところが続出している。学校を救い出すために、地域社会のパワーを学校に導入し、地域人材をもっと活用して学校の活性化をはかりたいという気持ちはよくわかる。

 とはいうものの、地域社会の方にも学校に頼られる力量があるのかどうか疑問である。高齢化がずんずん進む中で、隣り近所のつながりや協力は増えるどころか細るばかりだし、町内会・自治会の組織率は低下の一方、5割を切るところさえ現れている。子ども会から老人会に至る年齢階層に立脚した地域組織はほとんど絶滅状態である。若者たちや働き盛りの父親、母親は地域の問題にはさっぱり関心を示さない。また、示したくても暇も余裕もない。自分の子どもが学校に入れば、もちろん学校が関心事になるとはいえ、わが子のことにしか頭が行かず、ほかの子どもや学校全体のために一肌脱ごうという人はなかなかいない。PTA(今はTが抜けて父母会が多いが)の役員のなり手がいなくて押し付け合うのは毎度の光景だし、たまにやる気の親がいても、学校に理不尽な文句をつけるクレーマーになって恐れられたりする。「学校が地域の皆さんと目標やビジョンを共有し、地域が一体となって子どもたちを育む学校」は、そんなに近くには存在しない。

 いろいろ危惧ばかりを記したが、コミュニティ・スクールを否定する気持ちは全くない。町田市の場合、一つの可能性は他市に先駆けて進めてきた学校ボランティアの蓄積がある。ボランティアの募集はどこでも行っているが、町田の場合、個々のボランティアを束ねるボランティア・コーディネーター(VC)が各学校に2,3人置かれていて、学校行事や授業の場面と地域人材をつなぐ役割を果たしてきた。そのVCが運営協議会にも、またそれを支えるはずの「地域学校協働本部」にも位置付けられているので、この辺がどれくらい活躍できるかがコミュニティ・スクールの成否を決める鍵となるだろう。

 それにしても立派に整えられた組織図のどこにも「子どもの参画」という要素がない。学校の主役は子どもであり、子どもこそ教育の客体ではなく主体でなくてはならない。小学校には児童会、中学校には生徒会もあるはずだ。今の子どもたちは知識と情報は大人以上、社会に対して一家言ある子どもだって少なくない。その子どもの目線をよりどころにして、わが町のコミュニティ・スクールの行方を注視していきたい。


【地域に生きる72】

 田んぼには稲刈りをした後の切り株が残っている。それを鋤で掘り起こし、ひっくり返して土に埋める。こうして田んぼを掻き回すのを「天地返し」と呼んでいる。田んぼの春は天地返しとともにやってくる。

[地域のスナップ]田んぼの天地返し


 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。