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コロナ禍での偏見・差別と免疫について

渡邊隆之

 日々新規コロナ感染者数の報道がなされるが、感染拡大を抑え込む有効な手段が見当たらない。市民の営業自粛とマスク着用・手指の消毒に依存するばかりで、事業者も消費者もかなり疲弊している。

 感染リスクを考慮して介護療養施設では、高齢患者との面会謝絶が続いている。お盆での帰省を控えたり、帰省しても近隣の方からの「帰省するな」との心ない張り紙がされたりするなど残念なニュースを目にする。国や自治体がPCR検査等に積極的でなく、商用やプライベートで遠方へ外出の際は、個人的に検査を受ける人が増えているとのこと。相場は、1回2~5万円らしい。生活に苦しい人は三密や接客で感染リスクの高い仕事をせざるを得ないだろうし、その中で高額の検査費用も負担しろというのは酷である。

 このコロナ禍の中で同調圧力や誹謗中傷の報道に接するたび、この感染症の実態が明らかにされず、人々の心の安定がかなり失われているのではないかと思う。

 今回の感染者への偏見・差別発言に関し思い出されたのは、約30年前のエイズ騒動である。当初エイズは一種の風土病、一部の同性愛者に特有な病気なのではとの憶測から感染者への偏見・差別がひどかった。しかし、非加熱輸入血液製剤での感染等も明らかになり、大規模な訴訟へと発展した。ウイルス増殖のメカニズムや抑制方法が解明するにつれ、世間での不安が少しずつ解消されていった気がする。

 この当時、免疫学者多田富雄氏の『免疫の意味論』を読んだ。理系分野で初めて大佛次郎賞を受賞し、とても話題になった。キラーT細胞やマクロファージなど、一般に聞きなれない言葉が出てきて読み進めるのに苦労したが、自己と非自己の境界線を考える上で感慨深い書籍だった。

 自己と非自己の認識は脳ではなく免疫が決める。免疫システムの基本は「自己」と「非自己」を識別することにある。その上で自己の同一性を保持し、非自己を攻撃、排除ないしは無力化することがその目的である。ニワトリの受精卵にウズラの脳の原基(脳となる部分)を移植すると、脳細胞が分化し、やがて生まれたヒヨコの頭部はウズラに酷似し、行動もウズラに似てくるが数十日で死んでしまう。ニワトリの免疫系がウズラの脳を攻撃して神経細胞を破壊してしまうからなのだそうだ。

 異物が体内に侵入してきた際、自己の同一性を保持できなければ排除する。異物を排除できなくても無力化できるならば、異物を抗原として抗体を作り、自己の同一性保持を図ることができる。

 多くの人々の不安が増幅するのは国や自治体からの、この異物排除や異物無力化について合理的客観的根拠に基づく説明が浸透せず、自ら判断基準を構築できていないからではなかろうか。特に今回はエイズ騒動の時と異なり、営業自粛に伴う固定費支出や外出自粛に伴うストレスも加わり、一層正常な判断を期待しにくい状況にある。

 そこで、感染者への偏見・差別の芽を摘む前提として、逐次正確で詳しい、判断材料となるさらなる情報提供を国や自治体、マスコミ等にお願いしたいところである。

 また、感染経路不明者数も毎日報道されるが、ワクチンが市民に行き渡るまでは、やはり公費での広汎なPCR検査等が必要なのではないか。中小企業者の廃業が増加しているが、その多くはサービスの需要がないからではなく、他者への感染リスクを考慮し、十分な営業ができないからである。サービスの提供側・利用側の双方が感染していないと証明できればそれぞれ胸を張ってウインウインの関係を構築できる。

 また、個人の安全安心な暮らしの確保と社会の発展のためには、「非自己」とどうつきあうかが大事である。免疫の面からは、睡眠・運動・食事の面での各人の免疫力の向上に努めることも必要である。また、他者への感染を回避する気遣いも大事である。偏見や差別を減らすために考えるべきことは沢山ある。