月刊ライフビジョン | 地域を生きる

夏真っ盛りの里山キャンプ

薗田碩哉

 8月のど真ん中、猛烈な暑さの続く中、私のフィールドである里山の棚田で、子どもたちを20人ほど集めて一泊二日のキャンプを行った。田んぼの稲は青々と茂り、そろそろ穂が出て受粉期に入るところ。早くもイナゴの小さいのが暗躍し始めて、稲の列の間を飛び回っている。10数枚の棚田が連なる田んぼの一番下の広場にテントやキャンバスベッドやピザ窯やドラムカン風呂が並んだキャンプサイトを設営し、20㍑の入りのポリタンクが10個並んだ水の補給所を作った。やってきた子どもたちの多くは、春のどろんこ遊びと代掻き()から田植え、草取りまで毎度田んぼで遊んでいる「田んぼっ子」だからそこは手慣れたものでしろかき、じりじりと照りつける

 お日さまをものともせず、畔を走り回って鬼ごっこをしている。スタッフの学生5,6人は子どもと付き合って汗だくで動き回っているが、われわれ高年組は日陰に椅子を出してぼんやりとうちわを使い、30分ごとに拍子木を鳴らして子どもたちを呼び集め、水分補給だけは忘れない。ときどき谷を上って一陣の涼風が吹いてくるのが救いである。

 この里山キャンプには文科省からの助成金がついた。コロナ禍のもと子どもの自然体験が不足していることに問題を感じた文科省が、夏の初めになって突然「子供たちの心身の健全な発達のための子供の自然体験活動推進事業」という長ったらしい(「子供」が2回も出てくる必要があるのか)事業の公募を始めた。異例なことに応募者は全国団体や市町村ばかりでなく、町の小さなグループでもOKというので、早速「都市近郊の自然を生かした里山キャンプ体験」というタイトルを付けた企画書をサラサラっと書いて提出したら首尾よく採択された。文科省のお墨付き事業というので親も安心、スタッフもコロナ禍のご時世でも堂々と参加者募集ができた。何しろ、この夏、ほとんどのキャンプ企画が中止に追い込まれていたのだから、子どもたちが喜んだのは言うまでもない。

 とはいえ、「コロナ対策」はなかなか大変だった。参加者は1週間前から毎朝検温して記録帳に付け、当日、異変のないことを確かめて参加する。田んぼでも消毒薬を完備、手洗いの励行、大鍋料理は止めて高温のピザ窯で焼いたピザの夕食、夜もタープの枠に蚊帳を吊っただけの開放的な寝所にキャンパスベッドをゆったり並べて、密にならないように寝る…という具合。しかし、コロナよりも重要だったのは熱中症対策で、こまめな休憩と給水を心掛け、スタッフが子ども一人一人に注意を払うようにした。実際に熱中症で倒れたのはキャンプの前日の設営の折り、給水を忘れて動き回った学生くん一人だけだった。

 それにしても子どもたち(4歳から中学2年生まで)のエネルギーには感嘆させられた。このキャンプには特別にスケジュールはなく、それぞれがしたいことを考えてくるというのが事前の約束だった。何の義務も制約もなく、自分の好奇心のままに動き回れる自由を得た時、どの子もそれぞれのプログラムを思い思いに追及して飽くことがなかった。自分たちでルールを作って遊び、役割を分け合って共同の活動(木登り、がけ登り、ドジョウやイナゴやトカゲの捕獲作戦)にいそしみ、大いに食べて飲んで、火を囲んでゲームをして、しっかり疲れてぐっすり眠った(もっとも中には夜、虫のスダキがうるさくて寝つけなかったという子もいたが)。ドラム缶風呂も大好評で、すっぽんぽんで入る子も、女の子の中には水着をつけて入る子もいたが、友だちと一緒に風呂を楽しんでいた。

 まことに素朴で簡素な1泊2日を過ごして家に帰り、夏休みの日記に「家はとてもぜいたくな所なんだと思いました」と書きつけた子がいた―これはお母さんからの報告である。

(地域に生きる 66)夏真っ盛りの里山キャンプ
  (上の写真)遊んだ後のドラム缶風呂はキモチいい
  (右の写真)涼しい夜は火を囲んでお話


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。