月刊ライフビジョン | 論 壇

いま、『この人を見よ』を読む

奥井禮喜

ニーチェ『この人を見よ』

 ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。著書『この人を見よ』の原題は、『Ecce homo――Wie man wird, was man ist』で、「ひとはいかにして本来の自分になるか」という副題がついている。同書はニーチェ作品の集大成であり、自叙伝でもある。異色の哲学者であるニーチェの異色な作物であるが、哲学とは、まさに自分が自分についてじっくり考える学問だということがよく理解できる。

 哲学者の作物といえば固いのが通り相場である。もちろん、同書も内容がやわらかくはないけれども、最初は表現に面食らうくらい気軽な語り口で、慣れてくると、実に身近に会話しているみたいである。毒舌タッチであるが、誤解を恐れず、虚心坦懐に書かれていて、取り繕ったところが全然ない。語りたいことをずけずけズバズバ遠慮なく押し出している。ニーチェは書きながらおおいに高揚していたに違いない。

 自分が書くことは、見識を表現するのである。無理やりにノートを埋めるのではない。自分が表現したいことを思いのままに書くのである。文章から高揚が感じられるのは、まさに書きたいこと、書かねばならないことをぶちまけているのである。ニーチェは全ての著作は釣り針だという。釣れなければ、それは魚がいなかっただけだと胸を張る。読まれるためにおもねるような優柔不断の態度は一切ない。

 ニーチェは世界人であった。ドイツ人など田舎者扱い、鼻持ちならない俗物性だと切り捨てる。もちろん、ニーチェは人一倍真正ドイツ人(臣民ではない)たる誇りを持っているが、表面的なパトリオットではない。世界に貢献するドイツ人たるにはどうあらねばならないのかという精神である。

 ニーチェが尊敬し、親しく付き合っていた作曲家のワグナー(1813~1883)が建設したバイロイト祝祭劇場のこけら落とし(1876)の際、ファンが「ドイツの巨匠」「ドイツの芸術」と歓呼喝采した。ニーチェは我を忘れるほど憤激した。ワグナーが供するのは田舎者ドイツの芸術ではない。ワグナーは趣味の世界主義に語りかけるもので、たかだかドイツ的飾りに貶められてなるものか。いわばスポーツ大会などで「ニッポン、チャチャチャ」とやる、あの軽薄さに我慢ができなかった。軽薄なドイツ人の中に入るくらいならば豚の群れに投じたほうがいいとまで言ってのける。痛快無比である。

 「ドイツ人には底というものがない」という言葉にハッとさせられる。世界一のドイツ人だと鼻高々だったドイツ人が、ニーチェの死後30年にしてナチスが徘徊した。一切の価値・無価値を決定できるのがドイツ的なるものだという傲岸不遜が、すでにニーチェにはきっちり見えていた。近代人だという思い上がりがあっても、客観性・歴史感覚・科学性を十分に備えていない精神であれば、やがてはカタストロフィを呼ぶ。ニーチェは未来を予言していた。

 ニーチェは、愛国者ではなく、憂国者である。愛国者と憂国者は似ているが、前者がお国自慢的で偏狭にして傲慢性が強いのに対して、後者は国を愛するがゆえに、つねにこれでよいのか、もっとよくなるにはどうするべきかというように、現状に対して謙虚であり懐疑心を確保している。世界的芸術をめざしたゲーテ(1749~1832)と同じく、雄渾、雄大な羽ばたく精神の人であった。

いま、なぜニーチェか

 わたしはニーチェが生まれた年から100年後に生まれた。戦争を生きなかった人生が、心から素晴らしく、ありがたい。戦争体験者から少なからず体験を聞き、その苦痛や苦悩を忘れてはいけないと思い続けている。しかし、他者の体験から学ぶだけでは本当に理解できない。戦争を体験せずに生きてこられたのは上等だが、戦争を体験しないひ弱さを克服できていない。

 生きるか、死ぬかが問題ではない。平和においても人は必ず死ぬ。大切なことは生きることであり、いまを、いかに生きるかである。戦争を体験した人々が戦時下をいかに生き、戦後をいかに生きてこられたか。その体験を未熟な頭で想像しても十分に身につかない。

 戦争に勝とうが、敗けようが、戦争の苦しみや苦悩の重さが異なるわけはないし、勝敗によって殺戮と破壊の価値が高かったり低かったりするのでもない。戦争が終わった当時は、戦争の勝敗を問わず、いずこの国の方々であっても、二度と戦争をするべきでないと考えたはずである。

 戦争体験のない政治家諸君が、コロナウイルス感染防止において、戦争に例えたりするのを見ていると、彼らの薄っぺらさに気分が悪くなる。「対コロナウイルス戦争に勝利して、その証としての五輪開催を」などといわれると、そのような比喩を軽々しく口走るのは知性ではなく、単に情緒的にして中身がない煽動としか受け止められない。その延長上に非常事態宣言を発する快感を喜んでいるではないか、と言いたくもなる。非常事態宣言は、上からの指示ではなく、国民諸兄に協力をお願いするものである。

 指示や号令による関係は普通の社会ではない。軍隊である。軍隊の足並みは揃うものであるが、それは自主・主体・自治の社会ではない。人から人への感染だから、お互いがお互いの距離を保とうというのが「social distance」であるが、言葉が優先すると、どうしても1人ひとりは窮屈になる。自分の意思ではないからである。

 なによりも対コロナウイルス拡大防止は、日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に依拠するのであり、2項の「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」の具体的実践である。それを「私の責任で万全の対応をとる」などと科学的知見もないのに実力不足の大言壮語をしたり、マスクを全国民に配布するなどは、多くの愛国者諸氏も恥ずかしくなったであろう。

 対コロナウイルス拡大防止(早期発見・早期治療)の実力が危ぶまれるから、最後の手段として「人海戦術」であるところの対人接触を抑制する「自粛」をお願いするのが非常事態宣言である。これを政治家諸氏がほとんどわかっていないらしい上に、気のいい国民諸兄もまたわかっていないみたいである。

 いまの時世において、わたしは自分の性根がしっかり確立できていない。かつての敗戦後、多くの方々が国に騙されたと怒り、かつまたそのようなカタストロフィを防げなかった無力感を嘆いた。その中には、かつては国のお先棒を担いでいたが、戦後は形成不利とみるや直ちに民主主義の旗を振った人々、いわゆる「どんな時でも風邪を引かない」連中が多数存在した。それも騙されていたのであって、敗戦によって目が覚めたと言い抜けるかもしれないが、この連中は眠っていたのでも目が覚めたのでもない。

 正しくいえば、その性質は事大主義である。つねに小才を利かせて形成有利なほうに与して、いささかなりとも現世的ご利益にありつきたいというに過ぎない。それが戦後75年のいま、復古調に流れている理由である。100歳先輩のニーチェは自分に、一切の弁解を禁じた。いわく、自分自身を一個の運命として受け取る。偉大な理性を構築しなければいけないと語った。自分に自信と責任が持てない連中が変心・変節を成長だとごまかす。

 わたしは、これこそが「自立」の本尊だと思う。勝つとか敗けるとか、それは単なる現象に過ぎない。概して、人間は失敗が多いが、失敗をご都合主義で塗り固めて体裁を整えるのではなく、ある行為が失敗したからこそ、それに基づいて次の行為を修正する。自分自身に対してつねに本物か偽物かを問えというのである。徹底的に自分から逃げるなというのである。

 人間としての修業の核心は、人生に対する無償の行為を積み重ねる。人間たるにふさわしい自分としての道徳を作れ。これが、ニーチェのいう「ひとはいかにして本来の自分になるか」という意義である。

ニーチェ的Geist(精神)

 なんといってもニーチェの真面目は、キリスト教的倫理思想を弱者の奴隷道徳だと喝破したことにある。人間は、自分が弱いから神を生み出した。自分の弱さを真正面から見つめないで、神という理想に委ねる結果は、無力感とルサンチマン(ressentiment)、強者に対する憎悪や復讐心をため込むだけで、本気の戦いを挑まない。信仰は臆病者のなす業であるという。

 自分のすべての業が自分のためになるという地平に立たねばならない。理想といいつつ、理想が彼岸の彼方の話であれば、誰もそれを手に入れようとはしない。だから、それは本当の理想ではなく、自分の目的とならない。目的とならないことは、いかに美しい言葉であっても自分の役には立たない。そればかりか、自分自身に対する反感ともなりかねない。

 ニーチェが「わたしは自身に反感を抱いたことがない」と語るのは、すべてはわたしの運命であり、わたしのなせる結果である。『この人を見よ』という言葉は、新約聖書ヨハネによる福音書の19章にある。ユダヤ属州総督のピラトが捕らえられたキリストを指して言った。ピラトはキリストを罰しようとは思わなかったが、民衆が罰せよと吠えた。

 民衆は復活したキリストにすべてを委ねるが、ニーチェはそのような自分自身に対する無責任な民衆を拒否する。2000年昔の民衆と、いまの民衆のどこが違うかという意味も含まれている。

 ニーチェは36歳のとき、活力の最低点に落ち込んだという。それをデカダン的(decadent)であると同時に発端であると書いた。デカダンは虚無・頽廃である。つまり「底」に落ちた。それは無ではない。堕落でもない。だから落ちた地点からニーチェは這い上がった。いわく、視点を転換した。

 「本質的に病弱な人間は健康になることできない。しかし、本質的に健康な人間は病気になれば、病気であることが、生きること、より多量に生きることへの刺激になる」。だから、ニーチェは健康とは最大の人生設計だという。

 少し余談になるが——内田魯庵(1868~1929)は、「デカダンには主張がある」とした。ニーチェの言わんとすることと同じである。矛盾だらけの社会に対する抵抗である。デカダンはペシミスト(pessimist 厭世家・悲観主義者)ではない。もう1つ、坂口安吾(1906~1955)に『堕落論』(1946)がある。安吾は、敗戦後の日本人を見て「堕ちる道を堕ち切ることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と書いた。安吾もまたニーチェの心境に到達していた。

 ニーチェは、当時のドイツ精神が一種の消化不良にあることを見抜いていた。聖書によれば「お前たちは考えてはならない」、ひたすら神の言葉に生きよという。しかし、それは結局、「わたし」精神を失った人間になることでしかない。だから懐疑家こそ尊重に値する。理想が現実に対する怯懦と逃避に浸ることであってはならない。懐疑することとペシミズムはまったく異なる。

 目下のコロナウイルス騒動の帰趨はまだわからないが、ここまでの数か月だけでも大いに考える材料がある。自粛が精神的窮屈を感じさせたのは、おそらく、自由な時間が増えたことと強い関係があるだろう。この自由な時間とは従来の日常的規律(習慣)が変わったから生まれた。誰かが思い付きで「新しい生活習慣」などといったが、これまた、まことに上滑りの中身を伴わないコピーである。軽薄にコピーで踊る新しい生活とは少しも新しくない。依然として惰眠を貪っているかもしれない。

 「新しい生活習慣」のためには、新しい思考・思索、そして行動が問われる。いかに生きるべきか。生きることは他の人と共にある生き方のために何ができるかということである。

 ――君たちはまだ君たち自身を探し求めなかった――

 固い哲学のようでもあるが、実は、ニーチェの『この人を見よ』は、他者と共に生きる自分自身を、しっかり確認せよというに尽きる。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人