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夫婦別姓を合法化せよ

すぎかふん

 一人っ子同士が結婚して、姓はやむなく相手方に譲った娘の父と、婿側の父とが社交電話。初めは孫可愛さの友好的な会話だったが、婿側の父から「うちの孫」を連発されて娘の父がキレた。「半分はうちの孫だ。そんなことなら夫婦別姓に賛成だ!」――ある日の新聞コラムより。

 女子高同級会の近況紹介は「旧姓誰それの…」に始まる。よそよそしくて懐かしさが冷えていく。家庭の事情で何度も苗字を変えた友人もいる。名前はアイデンティティ。そんなに器用に「自分自身」を変身できるものなのか。

 法務省のHP「我が国における氏の制度の変遷」によると、明治9年太政官指令で妻の氏には実家の氏を名乗らせる「夫婦別氏」を国民すべてに適用するとした。それが明治31年民法では、夫又は妻の「家」の氏を称する「夫婦同氏制」になり、昭和22年改正民法は、旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ、男女平等の理念に沿って、夫又は妻のいずれかの氏を称することができる」と書く。どうして元のままではいけないのか、どうして個人を主人公にしないのか。

 かつて軍国日本がアジアの同胞に強制した「創氏改名」にも心が痛む。自我を形成してきたもともとの名前を使わせない、これはアイデンティティの剥奪、去勢、占領統治のツールではないか。そもそも農民町民には許されていなかった氏の使用が許されたのは、明治3年、兵籍取り調べの必要上、軍から要求されたものとある。

 「家族であること」を国に届ける必然も、保健衛生福利厚生社会保障の必要上は理解できるが、これを名目に家父長制度の連帯責任制、一体感の偽装に誘導されるのは困る。やはり「氏」には国家管理の人別帳、監視社会の支配や強制のにおいがする。

 一人一人に独立した人格を付与せよ。結婚による改姓の強制は個人の主権の侵害である。女は男の、子供は家の付属物専有物ではない。戸籍上の夫婦同氏制を止めよ。初めに個人ありき。一人ひとりが国民登録し、個人と国家は義務と権利の契約を履行する関係でよい。

 水脈さん、個人を氏で縛って管理しようとのいうあなたのアイデアはいかにもあなたらしいけど、生命の活力は管理から生まれない。弥栄日本民族の命脈が尽きてしまうのではと心配です。中国は新中国になる前から夫婦別姓の国だった。個を尊重する社会制度をうらやましく思っています。