月刊ライフビジョン | メディア批評

新聞劣化も懸念される朝日の特落ち

高井絜司

 1月8日から始まった相模原市の知的障害福祉施設の集団殺傷事件をめぐる裁判員裁判で、朝日新聞が致命的な「特落ち」をしてしまった。致命的などといっているのは、筆者くらいかも知れないが、人権重視の報道をしているはずの朝日がこの始末では、新聞の劣化はますます進行していくことになるだろう。

 特落ちというのは日本の新聞業界特有の現象だ。多くの記事が記者クラブを通して発信される日本では、扱い方は別として、どの新聞も同じテーマを取り上げる横並び報道が一般的。したがって、一社だけが他社を出し抜いてスクープすると特ダネとして評価されるが、その一方で、一社だけが重要なニュースを落とすのを特落ちという。特ダネに比べ、特落ちのケースはまれにしか起きないから記者にとっても新聞社にとっても大きな恥である。新聞そのものがいまや話題にもならない時代だから、特落ちなどと騒ぐのは、筆者くらいなものだろうが、その特落ちがニュースによっては致命的になる。

 さて、その特落ちした記事は、裁判を前に「19歳で犠牲になった女性の母親が報道各社に手記を寄せ、『娘が一生懸命に生きた証しを残したい』と女性の名前を明かした」(読売1面)というニュースだ。この裁判では、遺族らの意向もあって、大半の被害者の氏名を「甲A」とか「乙B」と匿名扱いで公判を進めることになっていた。これは異例のことだ。名前はその人がその人である原点であり、証しである。「甲A」さんとして生きてきたわけではない。公判では本来、被害者一人一人の人生が語られ、その尊い命を奪った被告の罪が問われるのに、その基本的な情報が記号で示されてしまっては、罪の追及がぼかされてしまう。しかもこの事件は通常の犯罪とは大きく異なる側面があった。

 そもそもこの事件では、二つの点が問題だった。一つは入所者45人が一人の同施設の元従業員によって次々と襲われ、19人もの死者を出したという、異常で凶暴な犯罪という点だ。もう一点は被告がメディアの接見取材に対し、「意思疎通のできない障碍者は人ではない」「報道などで自分の考えは広く伝えられたので、法廷では強く主張するつもりはない」と開き直り、むしろ障碍者に対する差別を放置している社会に対し、挑戦的な姿勢を示している点だ。被害者を「甲A」としか呼べない裁判こそ、被告の思うつぼなのだ。もちろん司法当局も、あるいは遺族も、匿名ではなく、実名で裁判を進めたいのだろうが、それによってさらに差別が助長されるのではという社会の現実がそれを許さない。だからこそ、マスコミはこの問題をしっかりフォローし、被告が突きつけている問題の深刻さを社会的に明らかにし、解決していかねばならない。

 マスコミはこの間何もしていなかったわけではない。NHKは、「19のいのち」というインターネットサイトを立ち上げ、施設の関係者などの証言から犠牲になった一人ひとりの生活ぶりを紹介し、それぞれがかけがえのない人生を送ってきたのだと伝えている。残念ながらこの事件は発生時から匿名で発表されたので、記者たちは全く手掛かりなし、ゼロから取材を進めざるを得ない。したがって、NHKのサイトもはがゆい内容になっているが、それでも何とか被害者たちの人生を伝えたいという取材の跡がうかがえる。

 こうした中、初公判の前日、遺族が、「美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います」「名前を公表したのは裁判の時に『甲さん』『乙さん』と呼ばれるのは嫌だったからです。とても違和感を感じました。ちゃんと美帆という名前があるのに。娘は甲でも乙でもなく美帆です」と、各メディアに手記を寄せたのある。NHKなどの努力も今回の遺族の決断を促したとも言える。

 事件発生時から、この匿名問題に注目していた筆者は、最初に読んだ読売が一面中段の囲み記事という地味な扱いだったので、朝日はどうだろうと調べてみた。ところが、何とどこにもその記事が出ていない。一体どうしたことか。読売の記事「報道各社に手記を寄せ」とあるので、まさか読売の特ダネではあるまいと、図書館に行って各紙を調べてみた。毎日は一面トップ、それに手記の要旨など社会面のサイド記事もトップで、それぞれ複数枚の美帆さんの写真を掲載している。東京新聞もほぼ毎日並みの大きな扱いだ。日経新聞でさえ、社会面で写真も掲載している。地方紙も北海道新聞のようなニュースアイのしっかりした新聞社は共同通信の配信記事を使っている。産経新聞には掲載されていないが、これは特落ちではなく、人権問題を重視しないこの社の判断でボツにしたのであろう。

 これは一体どうしたことだろうと、朝日の関係者に探りを入れた。正確な情報は得られなかったが、手記が届くのが遅い時間帯で、無理して朝刊にいれることはあるまいということだったらしい。おそらく多くの読者も、一日くらい遅れても報道すればいいのではないかと思うだろうが、結局朝日は当日の夕刊も見送り。手記に触れた翌日の朝刊は初公判で、被告が暴れ出し、被告不在の公判がメインのニュースになり、手記はそのわきの関連記事。実名を明かした意義をしっかり解説した記事になっていない。朝日はその後もミスを重ねる。15日の証拠調べの公判で、横浜地裁が美帆さんについて、「甲A」ではなく実名で扱うと決めたが、各紙その日の夕刊で報じたのにまた、朝日は特落ちした。出だしが悪いとこうしたミスが続く。ちなみに産経も他社の扱いに反省したのか、朝日同様、初公判の関連として扱っている。

 この特落ちは情報の入手や取材のスタートが遅れたというより、問題意識が欠如した上での判断ミスが原因だろう。結局朝日の報道は、出だしのミスから、この事件の二つの側面のうち、凶暴な犯罪という側面は伝えたものの、日本社会が直面する障碍者に対する差別問題という厳しい現実を伝えていないことになる。

 メディアは、この事件を通して日本社会において障碍者問題に限らず、様々な分野で差別がはびこっているという現実をもっと伝えていかなければならないのに、これでは「人権の朝日」が泣く。冒頭、筆者が「致命的」とい大袈裟な表現を使ったのはそのためだ。こんな凶悪な事件がありましたと伝えるだけでなく、その事件が私たち読者にどんな意味を持つのかを伝える問題意識が重要だ。「無理しない、明日でいい」という報道姿勢では、遺族の勇気ある手記も引き出せないし、事件の本質に迫ることもできまい。ネット時代に、新聞の存在感が色あせつつある。


高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。