月刊ライフビジョン | 論 壇

悪質クレーム問題から考える

奧井禮喜

箸にも棒にもかからない連中

 UAゼンセンが、「僕にも家族があり、人生があります」という意見スポットをYou Tubeで流している。サービスを提供する側と受ける側が共に尊重される社会を作りたいという真摯な期待を込めている。

 とくに問題なのは、サービス側の重箱の隅をつつきまわすとか、無理難題をぶつけて居座り、大声を出したり、土下座を強要するケースがある。一方的に吠えまくる。非論理的かつ威圧的な態度を示す。応対にも難癖つけて直ぐに切れるという調子である。

 そもそも商売に関するクレームは、売買契約で違約があった場合に、買い手が売り手に対して損害賠償を請求するものであって、悪質クレームとみなされるものは、そのカテゴリーに属さない。いちゃもんであって、ぶつけられるほうからすれば何が苦情の本質なのか理解できない。虫の居所が悪くて、八つ当たりするようである。苦情のための苦情という感じである。

 第三者からすれば、理不尽な苦情や要求に対しては、臆することなく決然と対処すればよろしいと思うが、売り場で、突然吠えられた人にしてみればあたふたするのが普通である。吠える側は、ますます居丈高になる傾向が強いから、サービスを提供する側が自己嫌悪に陥ってしまう。「僕にも家族があり、人生があります」というコピーは、やるせない気持ちが滲んでいる。

 自分であれば、どう対応するか。ペコペコすれば、尚更居丈高になるだろう。「大きな声は止めてください」と諭せば、「なんだ、その態度は」とくるかもしれない。サービス側が凄みのあるタイプであれば、たぶん、はじめから文句をぶつけてはこないにちがいない。いわば、一時的にせよ文句を言う側はアウトロー的になっているわけだ。

 いずれにせよ、会話の糸口をつかまねばならない。折をみて、「ご意見をまちがいなく整理するためにメモを取らせてください」。「いつも、棚にある商品がない。3日に1度は必ず購入している——」、「これでよろしいですか?」「えーと、それから、本日は、この商品を料理に使うために当てにしていた」——たとえば、こんな調子で、相手の同意を得ながらメモを取る。自分が口にしている言葉を自然にふりかえってもらうことによって、次第に冷静に戻る時間を稼ぐ作戦である。わたしは売り場に立った経験がないので思いつくのはこんなところだ。

 本当の苦情であれば、相互に会話しているうちに問題解決の糸口は見つかる。箸にも棒にもかからない単なる嫌がらせや恫喝であれば、じわじわと抵抗するしかない。仕事や、自分の人生のプライドを、そんなものに傷つけられてはたまらない。

まともな人とは対話が成立する

 職場では(いまで言うなら)パワハラで有名な技術課長(40歳)と話したことがある。わたしと同世代の部下(25歳)の仕事がとろいとして、猛烈に吠えまくる人であった。部下というのが職場委員で決して無能ではなく、後には部長になったが、ほとほと高圧的な課長に手を焼いていた。

 課長は苦学して上ってきた優秀な人である。わたしは課長の苦学された話を持ち出し、誰もが優秀さを認め尊敬していることから話した。部下も見どころありだが、まだ入社数年、とても課長並みに踏ん張る力はない。しかし、がんばることは人後に落ちない。課長が部下を鍛えたいという気持ちは十分に理解しているが、貧しくてロウソクの明かりで勉強した課長ほどの豪傑ではない。

 なにしろ課長はひたすら突っ張ってきているから孤独である。わたしは心から課長の苦学に惚れていたし、本気で尊敬の気持ちを示した。橋が架かった。誰もが課長を尊敬しているけれども、まったく同じようにはできない。管理者は、部下それぞれにふさわしい指揮をとってもらいたい。大筋、こんな話をしたが、課長は納得してくれた。わたしが組合支部書記長時代の思い出である。

 課長の態度は変わった。猛烈課長であるが、管理の仕事よりも自分が技術屋として突っ走るだけであった。しかし、本当に優秀な人であったから、気がつけば方向転換する。以降、職場の雰囲気もかなり好転した。もっとも、課長と同年配組にとっては、大変なおっさんであることは変わらなかった。

消費者論

 「消費者こそ王様、これが三洋の信条」という広告コピーが出たのは1959年である。白黒テレビが発売されたのが53年で、14インチが14万円。これが60年には4万円に下がった。大量生産・大量消費時代になった。

 アメリカでは、1930年代にスーパーが登場した。日本では53年に登場し、59年には消費者革命と呼ばれた。72年には、ダイエーが老舗の三越百貨店の売上を超えた。敗戦後の節約・耐乏から消費と流行の時代になったといわれた。「お客様は神様」論のハシリは、61年、演歌歌手の三波春夫が舞台トークで語ったとされている。消費者が王様から神様へ昇格した。

 資本主義は「pressure to sell」、売らねばならない。どんないい商品であっても売れなければどうしようもない。当時の王様・神様の扱いがどうであったか。かの電通に「戦略十訓」というものがある。いわく、「もっと使わせろ」「捨てさせろ」「無駄遣いさせろ」「季節を忘れさせろ」「贈り物をさせろ」「組み合わせで買わせろ」「きっかけを投じろ」「流行遅れにさせろ」「気安く買わせろ」「混乱をつくり出せ」――露骨であるが、当時の雰囲気がよく出ている。

 有名な米国コピーライターのハル・ステビンスの『コピーカプセル』は、もう少し上品である。もちろん、狙いは消費を生産に釣り合わせる、需要の喚起にある。たとえば「金を有益に失う提案(をせよ)」、「Fly now,pay later」(航空会社の宣伝で、まず飛んで、それから支払おう)、「料理を売るな、食事を売れ」などである。「大衆はパレードを愛するだけではない。大衆はパレードである」というコピーがしめすように、人々の感性に訴えて、消費行動に突っ走らせようというのである。

 62年には、大統領ケネディ(在1961~1963)が、「消費者主権」を打ち出した。商品に関して、製造者と消費者は非対等である。人々が膨大な広告に依存してきりきり舞いするのに歯止めをかけようとした。商品について「安心」「情報」「選択」「意見」の4つの権利を保障しようと呼びかけた。

 この流れは日本へも波及する。当時は、消費者は保護されねばならないという見方が主流であった。ダイエーの中内会長は後に、「使い捨て文化」を提唱していたと述懐した。

 言葉遊びみたいではあるが、王様論と神様論を考えてみる。

 パスカル(1623~1662)は、――王たちの身分が幸福である最大の理由は、人々が絶えず彼らの気持ちを紛らわし、彼らにあらゆる種類の楽しみを与えようと試みるところにある――(『パンセ』)と指摘した。要するに、じゃらされている猫と同じだというのである。宣伝広告というものが、消費者を王様に仕立て上げる精神であることは疑いない。

 神様ともなれば、王様どころではない。オールマイティである、全能である。人間を超越した威力をもつ見えない存在であって、人知をもっては測りがたい。お供えに手も出さず黙っている神もいれば、無理難題をぶつけてくる無頼の神も存在する次第である。俗に、さわらぬ神に祟りなしというが、こちらがさわる気がなくても押しかけてくるのだから始末が悪い。

お客様は神様ではない

 わが国では八百万の神であるから、いろんな神様がいる。とはいえ、「お客様は神様」論の神様にアウトローの神様を想定しているわけではない。三波春夫は自分の歌を聞いてくれるファンが神様なのだと言ったが、それと同じで、わが商品を購入してくれるお客が神様なのである。

 品のない表現をすれば、本音では「お客様は神様」の神様とは「カネ」様である。金の切れ目が縁の切れ目である。アウトロー紳士淑女が、神様なんだから天上天下唯我独尊の振る舞いをするのだとは思わないが、おカネを払うのは当方だから、好き放題するという気風が垣間見える。

 デモクラシー社会において市民は平等である。取引関係においては対等である。商品の提供をせずにおカネをくださるのであれば、神様と持ち上げても構わないが、ことは取引であるから対等なのであって、ましてや、消費者が神様や王様だという理屈は成り立たない。

 子ども時代、お使いで買い物に行ったが、神様の子ども扱いされた記憶はとんとない。調髪に行けば、あっち向け、こっち向けと結構手荒に扱われた。社会人になって立ち飲みカウンターで楽しんでいるとき、「出て行ってくれ」と店主が行儀のよろしくない客を追い出すのをしばしば見た。数年前に物故した店主も、堂々と客を選んでいた。その店には、実に手堅い常連が多かった。

 ホテルのバーカウンターで飲むようになったが、慇懃なのは性に合わない。フランクなお付き合いができるからこそ出かけるのであって、神様扱いされたくて出かけるのではない。

おもてなし

 サービスに定評がある某ホテルのみなさんをインタビューしたが、誰も、おもてなしという言葉を使わなかった。仄聞するに、経営者は神様論が好きらしいが、ホテルパーソンは、自分の仕事術によりをかけてお客をリラックスさせることに熱心である。

 あえて「おもてなしってどう考えますか?」と尋ねたら、しばし沈黙の後に「お客様の気持ちに共感・同情することでしょう」とか、「わたしが精いっぱい仕事してそれに納得することです」と応じられた。前者は惻隠の情であり、後者は仕事に自己納得できるかどうかだというのである。まちがっても「おカネに頭を下げない」という見解も聞いた。

 A・フランス(1844~1924)に『聖母の軽業師』という話がある。旅芸人上がりの軽業師が修道院に入った。他の面々は聖書を研究したり、庭園の手入れをしたり、大工仕事をしたり、表具の仕事をするのだが、軽業師は曲芸以外に何もできない。彼は、毎夜、みなが寝静まってから、教会の聖母像の前で、とんぼ返りをしたり、玉乗りをしたり、一心不乱に曲芸をする。たまたま神父が覗き見て、何をしとるのかといぶかしんでいたら、驚くべき事態が起こった。聖母がしずしずと台座から降りてきて、軽業師の額の汗を拭う。もちろんノーベル賞作家の作り話であるが、信仰ととんと無縁の人間にとってもすがすがしさが感じられる。

 もう一つ、J・ラスキン(1819~1900)は、――力にせよ心にせよ、時間にせよ労力にせよ、献物には敬虔をもって献上せねばならない。ほとんど全ての古い仕事は骨折り仕事であった。それは子供の、野蛮人の、田舎者の骨折り仕事かもしれない。しかし、それは常に彼らの力の限りを尽くしたものであった――と記した。(『建築の七灯』)

 自分の仕事をきちんと丁寧に仕上げる。その心持と行動があれば、へりくだったり、気兼ねをしたりする必要はさらさらない。


奥井禮喜

有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人