週刊RO通信

日本人のコミュニケーションが未熟な理由

NO.1322

 前々号では「日本人はコミュニケーションが未熟だ」と書いた。今号はコミュニケーション未熟の理由を考えてみたい。

 人間が社会を作ったのはコミュニケーションが成立したからだ。社会ができたからコミュニケーションが始まったのではない。キケロ(前106~前43)は「人間が動物と異なるのは話すからだ」とした。

 もちろん、ただ意思が通じることと、社会が形成され持続することとの間には大きな飛躍がある。このように考えれば、コミュニケーション不全は、社会の発育不全を意味する。これは深刻な課題である。

 西欧においては、ルネサンス(13世紀末)・宗教改革(1517)・フランス革命(1789)を経て、個人が社会を作っているという思想が定着した。およそ500年の思想的営みが展開された。

 そうして政治的には主権在民のデモクラシーが形成された。精神的には「人は社会的であってこそ精神は自由になる」(ベルジャーエフ 1874~1948)と言わしめた。つまり、個人(自我)が社会の精神的基盤だという。人間社会において、他人からまったく孤立した自由はありえない。

 人は気がつけば生まれていた。これを実存主義では、存在と言わず実存と表現した。人は、この世に投げ出されたのであって、自由ではあるが、その自由とはつねに何かを選択し決断する自由である。

 自由のなかに放り出されて、絶えず自由に選択しなければならない存在=実存だというのである。世界という舞台で、大道具の松の役割をしたいと願っても、そうはいかない。人はすべて役者であって演技せねばならない。

 そこでサルトル(1905~1980)は、「自由であるとは、自由であるように呪われている」と表現した。かくして「人間は自分がなろうとするものになる」以外の何ものでもないというわけだ。

 たとえれば、人は洗うために「ザル(自由)の中に入れられたジャガイモ」みたいなものだ。お互いにゴロゴロと触れ合って磨かれていく。コミュニケーションとは、「ザルの中のジャガイモ」状態である。

 ジャガイモには意思がないが人には意思がある。黙って誰かに洗ってもらうわけにはいかない。人は、「ここにある(存在)」だが、「なすべきこと(当為)」がある。「何をなすべきか」を相談しなければならない。前述のベルジャーエフの主張がこれである。

 日本では、源頼朝の鎌倉幕府(1185)以来、1945年の敗戦までの760年間は一貫して専制政治体制が続いた。とくに徳川幕府の265年間の圧制と、明治維新(1868)から敗戦までの77年間は、後に行くほど個人の人格が踏みにじられた時期であった。それは、「人が人を支配する」事実を国の建前によって隠された時代である。

 さて、デモクラシーになって70数年であるが、専制760年間の思想的慣性がきれいさっぱり払拭されたであろうか。

 わが国においては、いまだ「自我」という言葉が自己中心と等しい。自分が自分であることを気楽に主張する人が多数派であろうか。1970年代には、「日本人は生来集団主義だ」と主張する学者が少なくなかった。

 ニホンザルも生来! 集団主義であるが、今西錦司(1902~1992)は「日本人の自我はサルより弱い」と喝破した。ニーチェ(1844~1900)は「かつてあなたがたは猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿以上に猿である」と痛罵した。苦いパロディとして笑い飛ばせれば上等だ。

 人において「個」の認識は容易に確立できない。加えてアパシー(社会的無関心)を眺めれば、他者に対する不信感である。かつて「お上」を敬遠した気風はアパシーに衣替えして根強く残っている。

 専制的縦社会で人々は横の結束をつねに破壊された。アパシーの深い底には大昔からの先祖伝来の他者不信が根を張っているようである。その処世術が事大主義であり、「みざる・きかざる・いわざる」みたいである。

 「昔はいまよりよかった」なんてことは絶対にありえない。かつてなかったものをあるかの如く錯覚することをレトロピアというそうだ。見えざる古い呪縛を克服する気風を育てなければならない。