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労組新リーダーへの労働運動ガイダンス

21組合研究会

 カント(1724~1804)は、主観が客観に従うのではなく、客観が主観に従い、主観が客観を構成していると考えた。これをコペルニクス的転回と称した。カント没後215年のいま、われわれが重たい現実であると考えているもの・ことを、その思想的光を念頭において労働組合の今日的意義を述べてみたい。(ライフビジョン 奥井禮喜)

団結から連帯へ  

組合に「連帯」が登場したころ

 連帯とは、2人以上が共同して事に当たる意味である。連帯責任という言葉があるように、連帯する行動の責任は、連帯した人々が担わなければならない。連帯して行動して成果が出ないこともあるが、連帯には参加者の責任が伴う。また、人々が連帯するのは、連帯に価する意義があるからである。

 連帯は英語ではSolidarityで、団結、結束、一致、○○との連帯という意味である。わが国最初の国語辞典である明治の『言海』(1889初版)には、連帯がない。結束、結集という言葉もない。団結がある。その意味は、同志の人・人の組合と書かれている。

 わが国の労働組合では、1970年代までは、組合といえば団結、団結といえば組合であった。これは、敗戦直後に手にした組合の団結権からきている。以前は団結が禁止されていた。デモクラシーで団結権を手にした。組合の力は、とにもかくにも団結にある。組合創立時代の人々にとって、団結は輝く言葉であった。「団結ガンバロー」というわけだ。

 団結旋風が舞ったのは1960年を前後した三池炭鉱労組の首切り反対闘争であった。三池炭鉱労組の厳しい闘いに掲げ続けられた組合旗には、団結という文字が赤地に白抜きされている。団結・抵抗・統一の旗もある。団結するのは仲間である。「炭掘る仲」(作曲小林秀雄)という歌もある。 https://www.youtube.com/watch?v=guQ8idQBNiE

 1.みんな仲間だ 炭掘る仲間  ロープのびきる まおろし切羽  未来の壁にたくましく  このつるはしを 打ち込もう

 2.みんな仲間だ 炭掘る仲間  たたかいすすめた おれたちの  闇を貫く歌声が  おい 聞こえるぞ 地底から

 3.みんな仲間だ 炭掘る仲間  つらい時には 手をとりあおう  家族ぐるみのあと押しが  明るいあしたを 呼んでいる

 4.みんな仲間だ 働く仲間  煙る三池の たてよこ結ぶ  旗に平和と 幸せを  三池炭鉱労働者  三池炭鉱労働者

 素朴で、哀愁を感じるメロディーである。しみじみ、切々と訴える歌である。炭鉱労働者の文化を表現している。三池争議に直接関わっていなくても、1960年代いっぱいは、多くの働く人々の心に「仲間・団結」の意義がとどめられていた。これを知る世代の最年少が、もうすぐ後期高齢者になる。

 連帯が脚光を浴びたのは、80年、ポーランドのグダニスク・レーニン造船所におけるストライキで、ヴァウェンサ(当時日本ではワレサと称した)をリーダーとして、9月17日、独立自主管理労働組合「連帯」が結成されてからである。しかし、連帯に象徴される労働者文化が生まれたとはいえない。

労組ダサい論の登場

 70年代後半、わが組合では、組合(活動)がダサい、泥臭くていけないという批判が強くなっていた。排他的かつ特殊な用語を使う集団だとまでいわれた。そのてっぺんに象徴的言葉としての団結があった。

 77年1月、総評(槙枝利文議長・富塚三男事務局長)が池之端文化センターで、「開かれた総評――話にこないか」という懇談会を開催した。国民春闘を掲げて4年目、国民が総評をどのように見ているのか、文化人を中心にご意見を拝聴する企画であった。総評企画室長の山崎俊一さんのメモから抜粋する。

 〇 総評が使っている言葉はとっつきにくい。自分たちだけがわかって自己満足している。今日的表現方法を考えるべきだ。(イラストレーター・粟津潔)

 〇 質の悪い学者の論文、怪しげな宗教団体の印刷物で使っている言葉と、総評が使っている言葉が共通している。内部で新しい言葉、新しいコミュニケーションを考えるべきだ。(作家・井上ひさし)

 〇 総評は官軍的イメージが強い。冊子「総評はかく闘う」全文300頁において、文化活動に触れているのは3頁である。文化を全体の1%で片付け、退廃文化を2頁で嘆いてみせるのは、まさに官軍的である。(俳優・小沢昭一)

 〇 総評は女性のことを考えていないのではないか。人口の半分を占める女性について考えない社会はいずれ崩壊する。(タレント・中山千夏)

 〇 社会党候補の応援に行くと、ハチマキした労組員が取り巻いて、一般の人は遠くに押しやられている。これが開かれた総評か。(作家・野坂昭如)

 総評は組合員450万人、「昔陸軍、今総評」といわれたのは昔日の面影だった。一方、労働戦線統一の動きが進められていた。それでもまだ組合の代表選手は総評であったから、ここに引っ張り出したのである。わたしは組合本部役員3年目で、中立労連傘下だから、せっかくのイベントを拝聴できなかったが、文化人諸氏の指摘は核心を突いていると思った。

 国民春闘(総評と中立労連)を標榜するが、組合員以外の国民からすれば、「賃上げできて結構なことだ」「国民の看板にふさわしい内容か、要は自分たちの賃上げだけじゃないか」と辛辣である。小沢の「官軍的」というのは正しくは「官僚的」である。組合役員が官僚的だという批判は当たっている。文化人のお説を拝聴しなくても、組合活動がひと皮剥けねばならない地平にあった。

 槍玉に上がった総評だけではない。他のナショナルセンター3団体(同盟・中立・新産別)も似たようなものだ。産別段階はどうだったか。右に同じだ。単組段階はどうだったかというと、前述のようにださい、泥臭いと批判されていたのだから、やはり右に同じである。

 その核心とはなにか! 団結が叫ばれるが、上意下達的団結であった。これに気づかないところが官僚的なのである。

 飢餓賃金時代であれば、組合員の組合役員に対する突き上げは、かなり迫力があった。賃金引上げに関しては、極端にいえばさしたる理屈はいらない。組合員がほしいと願っている数字に到達しなければ立腹して文句たらたら言う。

 しかし、その文句たらたら自体が迫力を欠いてきていた。ところが、ほとんどの組合役員は、組合員の文句たらたら、に対して文句たらたら言って、役員仲間で慰め合っていた。しかも、賃上げの不満から、春闘マンネリ化批判へと不満がシフトしていた。問題の認識が半端であった。

 敗戦後から、組合は賃金闘争中心の活動を展開してきた。「賃金闘争=春闘=組合活動」という図式である。ださい論は、直接的には賃金闘争批判であるが、巨視的に考えれば、組合活動の存在理由(アイデンティティ)の再建と、それに基づく戦略・戦術の再構築を必要としていた。

 組合の運営面でみれば、いわゆる組合活動なるものは典型的に機関活動である。組合役員が組合機関を動かす。組合員は組合機関の手駒として行動する。ここには厳密な意味で、組合員が参加する組合活動がなく、組合員は動員されているだけである。

 すでに、戦後30年を経ており、中学卒現場ベテランが組合機関を引っ張った時代が終盤に入り、次第に高卒が組合機関の中核に育ちつつあった。彼らは、なんといっても戦後デモクラシーの香気を吸ってきている。もちろん、全学連諸君ほどの理論的政治性はないけれども、少し勉強している諸君には、組合が1つの権力機構に見える。「団結ガンバロー」の効能が薄れていた。

組合民主主義の中身はどうか

 組合民主主義の中身は一言、お粗末である。組合活動を通してデモクラシーに開眼した組合員が多ければ、今日のような戦前復古調が蔓延することにはならなかっただろう。組合活動は理性よりも情緒性が支配していた。勉強が不足していた。大衆運動としての組合活動を育てるためには、人間学(Anthropology)が不可欠である。残念ながら、そのような視野がなかった。

 労働戦線統一によって連合が誕生したのは1989年である。連帯は連合の時代の言葉である。しかし、ナショナル4団体の組織統一はできたけれども、かつて総評が代表して批判されたような状態を克服したのではない。とりわけ労働戦線統一過程において、労働運動のアイデンティティ再建論議がなされなかったのが惜しまれる。大衆不参加の労働戦線統一であった。統一は大変な事業ではあるが、統一することに意義があるだけの統一事業で終わった。

 連合創立25周年記念誌に、連合創立時の英雄豪傑的思い出話に花を咲かせて、いまの連中は覇気が不足しているというような調子の主張が展開された。もちろん、初心を忘れるべきではないから、初心に戻ることの意義がないとは言わない。しかし、大切な25年間の連合運動の総括がなされないのであれば、現在と今後の連合運動のあり方が求められない。海のものとも山のものともわからない統一時点へ回帰しただけでは意味がない。

戦後の組合活動

組合は経済闘争だけの存在か

 労働組合法は日本国憲法に先駆けて作られた。もちろんGHQ(占領軍の総司令部)の指導である。アメリカは大戦中も日本を深く研究していた。第一次世界大戦以後、日本もデモクラシー思想が大衆段階に及んだけれども、軍国主義による国家戦略によって、満州事変(1931)から日中戦争(1937)へと進む過程で、その萌芽が摘み取られた。

 デモクラシーを大衆的に敷衍するためには、かつてもっとも圧迫を受けていた労働者階層を支援するべし。これが、占領当初のGHQの方針であった。ところで、第一次世界大戦後のいわゆる大正デモクラシー時代において、多くの国民が、デモクラシーを掲げる人々をつまはじきするような事情であった。戦後の組合が、デモクラシーの期待を担ったとしても、やはり、木に竹を接ぐような事情であったことは十分に想像できる。

 労務法制審議委員会(末弘厳太郎委員長)で労働組合法の答申が急ピッチで作成された。敗戦から3か月後の11月24日に報告された。その大事な一部を紹介する。

 ――本法は団結権の保障により労働者の経済的、社会的並びに政治的地位の向上を助け、経済の興隆と文化の進展に寄与することを目的とする――

 これが労働組合法第2条(労働組合)においては、次のようになった。

 ――労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう――

 「政治的地位」「文化の進展」の文言が消えている。官僚の知恵が、組合を経済的活動のみをおこなう団体に押し込めた。末弘博士の願いは、労働者が「自主・自立・自尊」の組合活動を通じて、デモクラシーのために活躍することであった。世界史的にみても、組合は本来自然発生的団体である。だから、組織・目的・事業に対する法律の制定は必要最小限にとどめることにあった。

 組合の目的は、極端な窮乏の克服のみであろうか。戦略は、経済的防御のみでいいだろうか。戦術としては、経済的防御の罠に嵌ってしまっている。組合が、「賃上げ=春闘=組合」の循環内でしか活動しないとすれば、活動は防御的性質になりやすいし、社会的存在感を持つことはできない。

 仮に経済的活動を推進するにしても、1つの企業内において、対経営の活動にしか関心を持たない(持てない)のであれば、経済的防御活動自体も必然的に矮小化せざるを得ない。こんなことはすぐにわかる理屈である。

 戦後の企業別に組織して生まれた組合は、企業内活動の壁を突破しなければならないから、産業別組合を結成した。企業内組合ではなく、企業別に組織している組合としての見識を持つ。企業内で解決するべき課題については職場に密着した企業別組合としての利点がある。1970年代から「経営参加」論が台頭したのは、その1つの流れであった。企業別組合と産業別組合が効果的に機能すれば末弘博士が期待したような組合活動が作られるはずであった。

賃上げ交渉と組合

 賃上げは企業別交渉して決定せざるを得ない。各組合が孤立して賃上げを闘うよりも、多くの組合が連帯して、連帯力を発揮すれば、孤立した闘いよりも効果が大きい。それに着目したのが、1955年に開始した春闘方式である。総評全盛時代を構築した太田薫氏の発案である。

 春闘方式がなぜ成功したのか。「闇夜の一人歩きは怖いからお手手つないで」という言葉に表現されるが、それだけではない。交渉を強化するためには、理論をきちんと確立しなければならない。「ない袖は振られない」という経営側の常套理屈を崩していくためには理論学習が不可欠である。春闘の第一の成果は組合で学習活動が盛んになったことにある。

 そもそも敗戦までの労資関係は封建思想である。労働者は資本家に雇っていただくのであって、働かせていただくのであるから、賃金をはじめとして労働諸条件に注文をつけるなんてことは、不逞の輩の行為であった。

 戦後の組合は、働かせていただくのではなく、働くのである。労働力の価値=賃金については、労使対等において決定するのであるということから組合員に理解してもらわなければならなかった。

 会社人事部は優秀な人材を揃えていた。組合役員は、多くは中学卒で現場の叩き上げである。彼らは優秀な人材であったけれど、労使交渉を対等におこなうのは容易ではない。だから、1960年代半ばまでの組合交渉団の勉強は半端ではなかったし、同時に、彼らの勉強は職場組合員に伝えられた。

 経営側の「ない袖は振られない」論は、勉強しない人ほどオツムにしみ込んでいる。「会社といえば親も同然、従業員は子も同然」という気風もまた容易に変わらない。会社に対する忠誠心を喧伝しない会社はない。これは日々の職場生活を通じて絶え間なく吹き込まれる観念である。

 労働者とはいかなる存在か。当時の組合は常にこの課題と対峙していた。こんなことは当たり前だと、いまの皆さんはお考えだろうか? わたしの見るところ、1980年代のバブル時代に、組合内部の基本的勉強の体質が緩んだ。好景気であるから賃金は上がる。勉強していない組合員は「儲かっているから賃金が上がる」と思う。対等の後退である。

 90年代にバブルが崩壊して、賃金が上がらなくなった。「儲かっていないから仕方がない」という気風が組合員を支配する。少なくとも70年代までは、組合員に労使対等論が浸透していたが、90年代以降は、「会社が潰れたら元も子もない」論とともに、「働かせていただく」論が、組合員の多数派を構成しているのではあるまいか。これ、最大の懸念である。

連帯の今日的意義

 西欧の歴史を例に取らざるを得ないが、世界史の大きな流れを押さえよう。

 中世は封建社会であった。それを変えたのがデモクラシー思想であり、資本主義である。資本主義が本格化したのは産業革命以後である。産業革命はイギリスにおいて1760年、アメリカ・ドイツにおいて1870年が歴史的開始時期とされている。

 経済体制としての資本主義と市民政治体制としてのデモクラシーは別物である。封建社会(王侯・貴族・僧侶支配)思想を覆したのはデモクラシー思想であるが、産業革命(運動)よって経済的権力を掌握したのは資本家である。デモクラシーの市民社会においては、市民同士は平等のはずであるが、現実には経済的優位な資本家階層が社会的リーダーシップを握っている。

 現代社会は資本家が主導する国家である。資本家国家も歴史的存在であるから、これから将来に向かってどのように歴史が作られるかは、現代から未来の人々の選択に委ねられる。

資本主義は本来的に資本の増殖が必要である。それは、社会的福祉を期待する圧倒的多数の人々の気持ちとは方向性が異なる。世界的に格差が問題になっているのが、その典型である。

現代資本主義の再検討

 国連特別報告者・オールストン氏が、米国の貧困を調査し、2017年に出した声明によると、異例に高い貧困率・収監率、極貧層が150万世帯にも及んでいることが指摘された。

 アメリカは、医療保険・福祉の低い国である。一方、規制緩和・富裕層減税、さらなる福祉削減に余念がない。レーガン大統領(在1981~89)が「強いアメリカ」を標榜し、産軍複合体を復活強化させた。軍事を国の支出の柱として、新自由主義(自由放任の資本主義への復古)へ舵を切った。トランプは、それを継承している。

 アメリカは典型的にメリトクラシー(meritocracy)の国である。メリトクラシーは人の評価を身分・家柄などでなく、本人の知能・努力・業績によるべきだとする。これは、封建思想的なものを排除する面では有益であるが、経済的に成功した人を善とし、困窮する人を悪とする。怠惰ゆえに貧困なのだと決めつけるような気風が支配していることは大問題である。

 昨今、ポピュリズムが批判されるが、その中身は、メリトクラシーと新自由主義であり、それがいかに結構なことかを喧伝する政治家が権力に座に就いている。メリトクラシーは人々を孤立させるし、新自由主義は資本の増殖に傾倒して社会から福祉を放逐する。弱い人々はアパシーへと押し流される。落伍して犯罪者となって収監される。アメリカは収監国家だと批判される所以だ。

 「資本収益率はつねに経済成長率を上回る」という、トマ・ピケティの主張を前提すれば、目下、世界中で大問題になっている格差が縮小する見込みはない。歴史的には、資本主義は自由放任から福祉国家との提携へと進んだが、1970代から反ケインズ主義が台頭して、資本主義が凶暴な方向へ旋回した。

 産業革命当時の資本家は、社会改良に積極的ではなかった。困窮する人々や罹災した人々に対しては、同志愛ではなく、救恤精神で臨んだ。なんとか働いて耐えている労働者は、長時間労働によって健康を蝕まれ、徳性を奪われた。これが昔の話ではなくて、今日の光景だと考えて対処するべきではなかろうか。

 A・スミス(1703~1790)が『諸国民の富』で展開した「神の見えざる手」の牧歌的印象はすでに見当たらなかった。スミスは、特定の個人や階層になんらの特権も与えられていない社会をイメージしている。いわく、「勤労は富の自然的拡大であり、自分自身の生活状態をよりよくしようという各人の努力があれば、社会を富と繁栄に導く」と考えた。

 個人の利己的活動こそが結果的に社会にとって有益なはずであった。それが産業革命の進展によってまったく異なるものへと成長したのである。

 大企業経営者が産業(社会)の支配者となった。しかし、彼らには人類の文化・文明の永続的利害が自分の掌中にあるという認識や、その責任を担う見識や肝っ玉が備わっているであろうか。

 T・ヴェブレン(1852~1929)は、『有閑階級の理論』(1899)を著し、資本を掌握した有閑階級が、労働を厭うものとして、財貨の所有に狂奔することを指摘した。そして、やがては、資本の増殖は金融詐術の名人に委ねられると辛辣な予想を展開した。

 都留重人(1912~2006)は、1960年代に――資本は技術革新を背景とし、ますます規模の有利性を発揮する。供給者の数を減らす。新規参入を困難にし、社内留保を含む管理価格制を採用し、価格のバロメータ機能を失わせ、依存効果を通して消費者を取り込み、巨大企業の計画性をフルに生かして、その不足分を国家権力に頼る――と主張した。

 資本を産むのは労働である。これは、誰も異存がないであろう。しかし、現実の高度に発達した金融資本主義(すなわち資本があたかも神のごとくになった)機構においては、人々は資本を中心に行動するようになる。ビジネスマンは組織で階段を上ることに躍起になる。階段の行方には、資本が演出しているところの栄誉と報酬が輝いているという次第だ。

参加する民主主義をこそ

 アメリカの1960年代半ばは、主として黒人の公民権運動が盛んだった。黒人だけではなく、白人社会においてもすでに社会的差別が問題になっていた。前述オールストン報告の問題は、すでに第二次世界大戦後に始まっており、GMなど大企業が繁栄を謳歌するのと比例して深刻化していたのである。

 1962年、SDS(Students for Democratic Society 民主社会のための学生委員会)が、「参加する民主主義」を掲げた。

 ――1人ひとりの個人が、その生活の性格と方向を決定する社会的決定に、みずから発言権を持つこと、また、社会が人間の独立性を励ますような仕方で、そして人々が共通に参加するための手段を与えることができるような仕方で組織されなければならないこと――

 彼らは、「of the people・by the people・for the people」のbyをめざした。取り残される人々が発生するのは、権力がofとforを看過するからであるが、置いてけぼりをみずから放置するのであれば問題は解決しない。「ボクを認めよ」と声を出し「みずから起て」というわけだ。

 37年後のDecent Work(1999)は次の通りだ。

 ――人々が自由と人間の尊厳をもって働き、人々の声が届き、

 共通の目標を作り上げる決定や対話に 参加できるようにする

――(ファン・ソマビア 当時ILO事務局長)

 さまざまの集団・組織、社会、国家などに人々が参加している状態自体が連帯である。連帯とはデモクラシーそのものである。封建社会の理不尽な権力を打倒したのは上等だが、資本増殖という権力に振り回されるだけであれば、形の変わった封建社会だと言うしかない。

 封建社会が長く続いたのは、それが当たり前だと信じ込んでいたからである。今日の世界的ポピュリズムの氾濫は、資本増殖という権力を放置した結果である。いま、ここで、何が、なぜ、発生しているのか! 時代の状況をつねに思索する習慣を構築しなければ、人類は前進できない。

 アパシーを執拗に批判してきたのは、それが、社会を群衆化するからである。群衆とは、本来自立しているはずの個人が、それを自覚せず、ただ群れているだけの集合体である。そうであれば、社会の健全な舵を取ることはできない。

 あらゆる組合は、デモクラシーの期待を担っている。組合が、明確な目標を掲げて、各人の参加を作り出すこと、さまざまな事柄について「語らい」を無数に形成していくこと。これが、「連帯のαであり、ω」なのである。/組合研究会2019⑥2019/04/10より抜粋


 21組合研究会は毎月第三水曜日18.30より月例開催、会場は渋谷区富ヶ谷のライフビジョン。第24年次(2019年度)は11月13日(水)より開始。法人年会費4万円/全11回、どなたでも参加いただけます。(お問い合わせはライフビジョン)