週刊RO通信

『11通の手紙』及川淳子著

NO.1306

 『11通の手紙』(小学館)は、及川淳子中央大学准教授によって、創作書簡集というスタイルで綴られた詩文である。

 1995年、北京で暮らしていた著者は、劉暁波・劉霞夫妻との親しいお付き合いが始まった。学ぶ同士の豊穣のひとときだったであろう。

 帰国して大学院で学んでいた2008年、劉暁波と仲間が『08憲章』を発表したことを知る。同時に、劉暁波が拘束されたニュースも知った。09年12月、劉暁波に国家転覆扇動罪で懲役11年の判決が下った。10年10月、獄中の劉暁波にノーベル平和賞が贈られた。17年7月13日、劉暁波に死が訪れた。61歳であった。

 18年の晩秋、著者は、ベルリンで劉霞と再会した。

驚き、怖れ、憤り、落胆、苦悩の10余年を経て、本書が執筆された。著者は、劉暁波・劉霞から本当の「自由」を教えられたと述懐する。それを劉暁波からの『11通の手紙』として描いたのである。

 宛先は、学生、旧友、新聞記者、歌手、弁護士、老人、(若い友人の)母親、(天安門事件の)若い兵士、キリスト者、詩人、愛する君(劉霞)である。

 末尾に、笠原清志跡見学園女子大学学長・立教大学名誉教授による第二次「天安門事件(1989.6)から30年」の解説が掲載されている。簡潔であるが、本書が生まれるに至った事情、問題の所在などについて、読者の理解を助けるであろう。ただし、これは舞台装置である。

 さて、著者が伝えたいのは、本当の「自由」についてである。反体制活動家とされた劉暁波個人の思想ではない。本当の「自由」が社会の合意として形成されていないと、当たり前の「自由」を求める人が、「自由」を求めるゆえに生贄になってしまうという痛哭である、とわたしは思う。

 お読みいただけば拍子抜けするかもしれない。描かれている「自由」のさまざまは、まったく平凡な「自由」そのものである。冒頭の「ある学生への手紙」では、ヴォルテール(1694~1778)の言葉が記される。

 「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。これ、劉暁波のお気に入りの言葉である。学生は、「言葉の意味はわかりますが、果たして、その通りにできるものでしょうか——」と問いかけた。常に考える価値、いや、義務がある。

 読みたい本が読める「自由」、読みたい本を作る「自由」という言葉が「旧友への手紙」に登場する。本が読める「自由」の尊さを忘れてはいないか。

 守り抜かねばならない「自由」のために、自分の「自由」さえも引き換えにした「ある新聞記者への手紙」。「自由」を守ろうとして「自由」を奪われ、弁護士資格を奪われたが、変わらず法律書に向かう「ある弁護士への手紙」。

 人としてあるべき姿と党員としての生き方に矛盾が発生したら、あらゆる犠牲を惜しまずに前者を守り抜く、とした「ある老人への手紙」。これは、毛沢東秘書であった李鋭の言葉だが、個人と組織が常にはらんでいる課題だ。

 学生と兵士がにらみ合いになった時、誰かが歌い出した歌を作った「ある歌手への手紙」。音楽は「自由」そのものなのだ。無力な歌手であっても。

 涙を流す「自由」、自分の心に随う「自由」、神様を信じる「自由」と信じない「自由」、詩を書く「自由」、沈黙する「自由」、アパートが見張られていて程遠い「自由」——愛する「自由」、考え続ける「自由」、自分の言葉で書き続ける「自由」。本当の「自由」とは何か! わたしが、もし、12通目の手紙を書くとすれば何を書こうか、と考えつつ読み、読了して考えている。

 かつて、神の命に背いて思索し行動するのは罪であった。しかし、人間が作った神の支配から人間は飛び出した。それが「自由」の始まりだった。なぜ飛び出したのか? 「わたしは存在する」、かつ「わたしは欲する」からだ。

 国や社会という、見えず掴めないものではなく、「わたし」や「あなた」が国や社会の実体だと誰でも考えているのではなかろうか。「自由」はどなたかが与えてくださるものではない。わたしにとって本当の「自由」とは何か?

 劉暁波は「~からの自由」を求めたのではない。「~への自由」を求めたからこそ「罪を認めれば釈放する」という誘いを拒絶した。わたしは、ソクラテスの声を聞いたような気がした。ぜひ、皆さま、お読みくださいませ。