週刊RO通信

賢くない政府の消費態度

NO.1295

 ワイズ・スペンディング(賢い消費)という言葉が登場してひさしい。何をもって賢いというか。ちょっと考えるとなれば面白いけれども、なかなか難しい。これもまた百人百様の嗜好性がある。

 モノを買う場合、第一に使用価値があるかどうかを考えるだろう。自分にとっての使用価値は、言葉を換えれば、自分の欲望を満たす意義である。衝動買いというが、それも自分の欲望に点火したのである。

 価値をうんぬんする前に必要という言葉を思い出す。必要という言葉は幕末・明治期に作られたらしい。必ず要すること、欠くことのできないこと、なくてはならないことで、はじめは必用と書いた。

 1889年(明治22)、わが国初の国語辞書『言海』が、文部省の命をうけた大槻文彦(1847~1928)によって編集発刊された。これには、必用とあり、必ず用いるべきこと、なくて叶わぬことと書かれている。

 二葉亭四迷(1864~1909)の小説『浮雲』(1887~89)は言文一致体・近代写実小説の先駆けとされるが、その中にはたびたび使用されているから、日常生活を実写するには必要不可欠な言葉になっていたわけだ。

 こんなことを考えていると、またまた先輩を思い出す。戦時中、必要不可欠の食べ物が手に入らなかった。

 関西では楠公メシという偉大な発明があった。少ないコメを土鍋で炒る。きつね色になったら熱々のお湯に浸して蓋をして蒸らす。15分もするとコメが膨らんで倍以上になる。錬金術ならぬ錬米術である。

 喜び勇んで食べるのだが、ただ膨らんでいるだけだから直ぐに腹が減る。フランスではシャトー・ラ・ポンプとしゃれる水道水を腹いっぱい飲む。お腹がちゃぷちゃぷ踊っている。わが国では鉄管ビールと呼んだが、酔わない。

 1970年代、先輩と食事しつつ会話している。突然先輩が、「うまいの、まずいのなんて、あんた、そりゃぜいたくというもんですよ」と話し始める。うっすら酔っていた心地がたちまちにして雲散霧消するのであった。

 80年代後半、パリのモンテーニュ通りのルイ・ヴィトン、シャネル、ディオール、グルネル通りのエルメス、イヴ・サンローランなどなどの店舗は、さながら日本人の買い出し部隊に独占されたかのようだったらしい。残念ながら、その賑わいを眺める機会がなかった。

 ――金や銀で彼らが作るものは便器である。これは共同の会館でも家庭でも同じ。奴隷を拘束するための足かせ・手かせの鎖も金銀である。罪人の印の耳飾り、指輪、ネックレスも然りである――

 前述は、トーマス・モア(1478~1535)『ユートピア』(1515)の一部抜粋要約である。ユートピアの人々は、雅趣ある陶器やガラスを日用品として愛用するが、金銀のようなものが人間精神を狂わせやすいことを知っていた。

 さて、そこで一考したいのが政府の買い物である。防衛予算を全体の1%以下にするというのは、とっくに反故にされ、アメリカから購入する武器は維持費を含めると4兆円近い。

 普天間基地の危険を取り除くのが喫緊の課題としつつ、猛反対が続く普天間基地新設に余念がない。軟弱地盤が問題になって、6万本の杭打ちをしなければならない。杭打ちの技術的難点は目下無視だ。総工費2400億円としていたが地盤改良工事だけで500億円が必要ではないかとみられる。しかも地盤改良工事の工期が3年8か月だという。喫緊対策にはなり得ない。

 国防といえば必要価値というわけだが、一朝事ある場合に使用するとなれば、それが生む価値は簡単には予想できない「負の価値」である。使わないために備えるという理屈であるが、使わないことに使用する「負の価値」もまた見過ごせない。

 自分のほうから仕掛けない限り起こるはずがない戦争のために、「負の価値」をじゃんじゃん購入するというのは、誰が考えてもワイズ・スペンディングとは言えない。衝動買いのでたらめ買いだと、わたしは主張する。

 平和立国の礎は、国民が日々元気溌剌として活動することだ。いまの日本社会を見て、元気溌剌の人々が多いだろうか。安倍氏の趣味には付き合えない。賢くない消費としての国防は国亡への道だからである。