週刊RO通信

「組合とは何か」に立ち返ろう

NO.1288

 元号が変わるので、「平成の30年」について語る企画が登場している。「明治は遠くなりにけり」とか、「激動の昭和」などという調子には、一種の感慨が去来するが、歴史はちょいとコピー化できるようなものではない。

 はたまた元号が歴史を作ったり変えたりしない。われわれが作っている歴史、生活している歴史は、瞬時として留まることなく動き続けている。

 年が改まるというけれども、思えば日々に改まる。1月1日に格別の意味があって、旧来の陋習が雲散霧消して、世界が心機一転してくれるなら上等だがそうはいかない。高浜虚子(18741959)「去年今年貫く棒の如きもの」は、「昨日今日貫く棒の如きもの」なのであって——

 学校で教わった歴史の印象は、年号と人物・事件を記憶しなくてはならないから、辛気臭いというあたりが大方であろう。面白くなくて歴史嫌いの人も相変わらず少なくないはずだ。

 チャップリン(18891977)は、幼時極貧でまともに通学できなかったが6,7歳で歴史に開眼した。いわく「歴史は不正と暴力の記録であり、また王殺しや、逆に妻も兄弟も甥たちも殺してしまう王たちの連続であった」。

 歴史の表面で飛んだり跳ねたりしているのが権力者で、彼らが人々のための善政や社会道徳のためでなく、自分が権力を手放さないために奮闘する。その精神が不正・腐敗であり、暴力として現れることを見抜いたのである。

 優等生になるためではなく、人生に役立つことをつかみ取るために学ぶというチャップリンの天才が、すでに小学校低学年で発揮されている。彼の立ち位置は、つねに非支配者にあり、大衆の喜び悲しみと共にあった。

 いかに英雄豪傑が登場しようと、社会の主人公は歴史に記録されない圧倒的多数の非支配者=働く人である。たまたま元号が変わるから、平成がどんな期間であったかを顧みるにしても、この視点をきちんと押さえたい。

 平成は1989年からである。バブル経済の頂点であった。以降、バブル崩壊、大変な失業時代へ向かう。その後、企業はしたたかに立ち直ってきたが、社会を担う働く人にとっては、冴えない時代が続いている。

 そこで労働組合に目を向けると、これまた元気がない。組合の元気は組合員の元気である。組合員の元気がないから組合の元気がない。組合員が組合に対して無関心(アパシー)だというのが通説である。

 しかし、個別に対話してみると、決してアパシーではない。多くの方々が、自分の仕事と職場を大切に思っているし、いまの社会について、決して満足していないだけでなく、十分に問題意識をもっている。

 個人が問題意識をもっているけれども、個人と個人、個人と集団の間に十分なコミュニケーションが成立していない。職場のコミュニケーションは、われわれの調査では1990年代後半から著しく劣化している。

 職場でコミュニケーションが成立しないのだから、各人が直面する問題は各人が個別に解決するしかない。職場のコミュニケーションが成立しないこと自体が、組合活動が顕在化していないことを意味している。

 たとえば、にぎにぎしかった成果主義の導入に際して、組合員間で大討論したというような話を聞かなかった。ワークライフバランスが登場した当時も、組合員相互にきちっと話し合いをした形跡がない。

 政財界提案の「働き方改革」も同様である。そもそも「働き方改革」をいうのであれば、働く当事者(組合員と組合)が、誰よりも大声疾呼して然るべきである。行政に調子を合わせるだけではいかにも物足りない。

 戦後の労使関係が安定期に入ったのは1970年代である。80年代には労使の緊張感が希薄になり、それにバブル経済が拍車をかけた。ために、90年代の雇用問題に組合が確固たる対応をできなかったというしかない。

 ある時期に組合活動が高揚しても、半永久的に続く保証はない。常に時代を担う人々が活動の出発点・基本をわきまえて、「いまここで何をなすべきか」の視点を押さえて、具体的活動に尽力するのが筋道である。

 組合活動は、誰かが作った自動車を運転することではない。自分が乗る自動車を作らねばならない。失礼顧みずいえば、組合活動家の皆さんには「組合とは何か」を、つねに勉強して取り組んでいただきたい。