週刊RO通信

春季交渉 「語らい」が広がるか

NO.1287

 皆さんに聞いた働く事情は3点セットである。いわく、「賃金が安い」「長時間労働」「有給休暇が取られない」。ところで、これが大きな声として沸いてこないのが、とても奇妙である。

 2017年度法人企業統計によれば、企業の内部留保は447兆円、製造業では153兆円、非製造業では293兆円である。

 内部留保は、企業が税引き後利益から配当金・役員賞与などの社外流出額を差し引いた残りを企業内に溜めるのであるから、(個別企業の事情は別として)企業の儲けは十分にある。しかも人手不足感は全国的に強い。労働力の売り手側にとって、今回の春季交渉は追い風である。

 連合が、大きくはディーセント・ワークをめざして、賃上げ2%程度(基準)プラス定期昇給分で要求を4%としたのは、まさに「底上げ・底支え」であって、手堅く、謙虚な要求基準である。

 とくに、従業員数で7割を占める中小労組について、大手追従・大手準拠ではなく、中小組合の運動を高めていく視点を構えている。これは大きな意義をもつ。中小は組合数が多いから、連合・産別としての支援は大変だが、やれるところから食らいついて運動を推進してもらいたい。

 先週の本通信でも主張したが、活動の手がかりができれば、中小労組のほうが大労組よりもスピーディに活性化できる。機関と個人の距離が近い。

 そもそもわが国の組合運動は昔から大労組中心の流れにある。中小労組の運動を高める戦略は、組合運動全体のコペルニクス的転回だといっても過言ではない。中小労組の活性化は組合運動の拠点を必ず増加させる。

 連合は、個人消費の活性化を指摘している。これも正しい。個人消費を活性化するためには長時間労働体質を変える必要がある。長時間労働は、労働の質について頭が回らなくなる。これ、経営側はわかっているだろうか?

 不払い労働は論外だが、長時間労働によって自分の労働の価値について考えをめぐらさない。残業で稼ぐ! というのは、麻薬的効果を果たしている。だから低賃金を認識しながら、それを変える活力が出ないみたいである。

 1990年代初頭、わたしは中部地方の優良中企業のインタビューをした。社長が労働時間短縮に燃えており、すでに年間労働時間も休日数も、大企業よりも先を行っていた。その経営者精神とセンスには大いに感服した。

 理由を聞くと、社長は、「社員が会社にいるからトラブルが発生する。会社にいる時間を短くすることが生産性の向上に直結する」と話し、「あなたなぜそんなつまらぬ質問をするのかね」と言わんばかりの表情をされた。

 一方、社員に聞くと「休みが多くてかなわん。家族がどこか連れていけと注文つけるし、金はかかるし——」、挙句「あなた、今度社長に会うとき、あまり時短するなと言ってくれませんかね」と頼まれた。

 笑い話ではあるが、社員が会社にしがみついていれば生産者の立場であって、消費者にはならない。需要がなければ供給は増やせない。

 1919年、ILO(国際労働機関)第1回総会で財界代表・藤原銀次郎が「小人閑居して不善をなす」、長時間働くほうがよろしいとぶった。なるほど、不善をなす人が減ったから消費が盛り上がらないのが今日の姿である。

 ディーセント・ワークの大本は、ディーセント・リブである。はじめに仕事ありきではない。「はじめに人生ありき」である。組合活動が活力を失ったのは、1人ひとりの人生・生活感覚と遊離したからだ。

 敗戦後、国家主義が潰えて個人が解放された。しかし、個人を単位として社会や国を考える気風は容易には育たなかった。飢餓賃金時代には、組合が全部まとめて賃金引上げ路線で、個人と組織が一致できた。

 しかし、飢餓賃金時代の組合モデルでは、いまや賃金引上げ1つを考えても効果的な活動を生み出せない。そこで大切なことは、組合活動の源流としての働く人それぞれの人生・生活に接近するべきである。

 職場で組合員諸氏の「語らい」を作りたい。「語らいなくして活動なし」である。とりわけ格差問題、同一労働同一賃金問題などは、働く人相互の率直な意見交換なくしては真っ当に前進しえない。春季交渉に限らず、組合活動の成否は、組合機関と組合員の一体化に依拠しているのである。