論 考

説明責任を果たすことは政治家の条件

 世間において不祥事や失敗は発生するものだ。

 その場合、原因を特定すれば今後への有益になる。そのためには、発生した不祥事・事件についてまずきちんと事実経過をおさらいせねばならない。

 ところが現実には、事実経過自体が中途半端なままで問題を片付けようとする悪習慣がある。

 たとえば本日の新聞を読んでいると、

 a 東京五輪費用総額1.35兆円(推定)のうち、東京都と政府が共同実施する事業4,050億円の内容が随意契約で、たぶん五輪スポンサーとの契約であろうが、事業者が非公開である。

 b 厚労省の毎月勤労統計不正事件の特別監査委員会報告が出されたが、原因は中途半端である。これで幕引きするのは、新たな隠蔽工作である。

 c 日ロ交渉は目下さっぱり詳細がわからない。外交は手の内を見せないものだというが、どんな話をしたのか事実経過が出せないのは、要するに政府の思惑が外れてしまっているからだろう。調子のいい宣伝をしたことのフォローが必要だ。

 d 築地跡地は食のテーマパークにすると喧伝していたが、国際会議場に変えられた。

 これらは共通していずれも説明責任が果たされていない。説明責任を果たさないままに事態がどんどん進むから、人々の不信感が増幅する。

 政治の舵取りする諸氏の政治家としての条件は、第一に説明責任を全うすることだ。それができないのであれば政治家の資質がない。