週刊RO通信

大阪万博は成功するか

NO.1278

 国際博覧会条約によると、国際博覧会の目的は「人類の進歩や将来ビジョン」を提案することにある。2025年5月から、大阪夢洲(ゆめしま)で万国博が開催されることになった。

 以前、隣接する舞洲(まいしま)へ行ったが、殺風景で、軽口叩けば夢見心地で舞い上がるような気分にはならなかった。どちらも産業発展を期して埋め立てられたのであるが、期待からすれば、まだ、とても、とてもの感だ。

 大阪万博のキャッチフレーズは「いのち輝く未来社会のデザイン」である。これは万博の目的に適合しているだろうが、何を展開するのか、大方は今後検討するようである。

 建設費1,250億円、運営費820億円、関連費用730億円、合計で2,800億円。建設費は、国、大阪府・市、民間が各1/3ずつ負担するという。資金捻出の心配が取沙汰されている。

 1.9兆円ほどの経済効果があるという。大阪府は、万博を起爆剤として、人々に娯楽を供し、地域産業の活性化を狙う。AI(人工知能)やAR(拡張現実)の技術を駆使して楽しんでもらう作戦らしい。

 コンセプトは、健康・医療を中心として技術貢献をめざす。高齢化という人類共通の課題に向けての提案をする。日本人は2017年の平均寿命が、男81.09歳、女87.26歳である。

 どんなことを想定しているのか。来場者の健康状態を測定し、疲労・熱中症防止、個人にあった食事や運動を提案する、という事例が報じられたが、これ、目玉イベントになるだろうか。

 1970年に大阪で開催された万博は6,421万人が来場した。この記録は、2010年の上海万博が7,300万人を記録するまで破られなかった。しかし、万博来場者の低迷が全体的傾向である。今度の大阪万博も来場者は2,800万人と見積もられている。

 高齢化が人類共通の課題だというのはその通りだ。しかし、それは「不老長寿」というような能天気なものではない。高齢期に進むほど、フィジカルな健康に関する医療技術が進歩しただけでは、未来が明るくない。

 育児にはじまり、年金・介護・医療への社会保障の在り方について、少し考えれば、大掛かりな国際的見世物小屋に対する期待が高いとは到底考えられない。かくして狙いは経済効果のみということになる。

 万国博の趣旨からすれば、人類が直面する課題を浮き彫りにして、解決策を提案するべきである。社会の知性と馬力を総合的に編集することが必要である。しかし、経済効果中心主義で、そのような期待ができそうもない。

 1970年の大阪万博は「日本万博」と呼んだ。「人類の進歩と調和」がキャッチフレーズである。目玉は、アメリカ館のアポロ12号が持ち帰った「月の石」で、来館者は、「並んだ」「待った」が最大の印象であった。

 1954年から74年までの年平均GNP(国民総生産)成長率は10%であった。60年代後半から70年代半ばにかけて「くたばれGNP」とか、反公害市民運動が盛り上がっていた。

 それでも、当時の日本人の意識は、いまからいえば途上国的であった。物珍しさが史上最大の来場者数につながった。いまや、常設の巨大テーマパークがたくさんあり、AIだのARだのというものも大方は日常的である。

 当時の大阪知事・佐藤義詮は、「関連投資含めて9,600億円を超す。巨大な投資がされて、大阪の再開発を助ける。この誘発効果は計り知れない」とぶった。確かに投資効果は計り知れなかった。

 頭を冷やした後、「大阪府総合計画」(大阪府総合計画審議会検討小委員会 1982)は、「万博開催にもかかわらず大阪は国際的な諸活動の舞台としては十分な発展を遂げることができなかった」と記した。

 無茶な地下鉄突貫工事で、谷町線の天六ガス爆発事故が起こった。ガス管から漏れたガスが爆発し、亡くなった人79名を数えた。

 イベントは所詮イベントである。イベントは確たるレガシーを残さない。為政者は器やイベントつくりにうつつを抜かす、事業家は儲かればよろしい。これでは人類の課題をあぶりだすことなどできるわけがない。