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貯蓄と投資から人生を考える 

ライフビジョン学会

設立25周年記念公開シンポジウム「人生と働き方の関係を再考する」

 ライフビジョン学会は2018年9月8日、設立25周年記念公開シンポジウム「人生と働き方の関係を再考する」を開催しました。記念講演では法政大学・水野和夫教授から、個人の人生と世界経済の視点から、日々の生活の充実を心がけようとご示唆いただきました。【文責編集部】


記念講演1「時代の混迷を切り開く視点」

法政大学教授 水野和夫

 今日お話ししたいことは、ゼロ金利というものがどういう意味を成すか。これは2番に関係するが、近代社会というものはもう、終わっているのではないか。この場合の近代社会とはより遠くより速く、より合理的にということをモットーとする。これに忠実に行動する、行動した人が、社会の「成功者」になる秘訣だった。

 今日の大きなタイトルは「人生と働き方を考える」。「貯蓄と投資」という観点から、人生をどう生きたらよいのかを話したい。

1.ゼロ金利の意味するもの

 ゼロ金利はいつから始まったのか。金融政策では1995年に、日銀は過度の物価下落を軽減するために、当時政策金利であったコールレートを1.0パーセント以下に引き下げる、という。

 そこから日銀の金融政策はデフレからの脱却として、事実上のゼロ金利政策を始めた。だからもう、23年になる。

 黒田総裁は第二期の総裁を勤められるのでさらに5年間は続く。消費者物価が2%に届けばゼロ金利は廃止されるが、2%に届くことはほとんどないだろうと私は思うので、向こう5年間、合わせて28年、ゼロ金利がほぼ一世代、続くことになる。

 これはケインズが1936年、『雇用・利子および貨幣の一般理論』およびその他の論文で、2030年には、「かつて人間の創造以来初めて、――これは具体的には――、資本を増やさなければならない、という状況から解放される」と主張したことを想起する。

 「資本を増やす」とは、節約をして貯蓄と投資をしなければならないが、それから人類は初めて解放されるだろう、ゼロ金利になるだろう、と言っている。日本とドイツはもう数十年も前に、ケインズの予想を達成している。スイスとかスウェーデンとか小さい国もゼロ金利状態だが、一億人前後の人口の大きな国では日本とドイツだけになる。

 根源的な問題は、経済上の切迫した心配から解放されて、それをいかに利用するのか。

 経済上のひっ迫した心配とは資本不足のことで、具体的には、資本不足で供給力が足りなくて、食べるものも着るものも住宅もない、死んでしまうかもしれないという状況である。

 この状況から解放されて、人間は真に恒久的な問題を考えなくてはならない。それは、余暇を賢明で快適で裕福な生活のためにどのように使えばよいのか、ということである。

 余暇というのは1日24時間から労働時間を除いた時間の全部である。経済学では「レジャー」という二分法になっていて、日本語では余暇――これは遊ぶ時間ではなく、労働以外の時間をどう過ごすか、という問題に直面するであろう。

 これは1930年「わが孫たちの経済的可能性」で述べている。100年後の日本はまさに、余暇を賢明で快適で裕福な生活のためにどのように使うのかという問題に直面している。

*「わが孫たちの経済的可能性」ケインズ全集9説得論集宮沢儀一訳、東洋経済新報社1981

 だから政府の働き方改革が「生産性向上」というのでは、全然話が違う。生産性の向上とは「より早く、より合理的に働け、より遠くに行って商売して来い」、という話だ。

 ケインズは、労働時間を3分の1ぐらいに減らすことができるだろう、2000時間ならば年間労働時間が1300時間で、浮いた700時間の充実を考えなければいけないと言っている。

 でも今はまだ、2000時間を一所懸命働いている。これからは残業時間という規制もなくなるみたいだから、成果が上がるまで帰るな、という。ケインズは逆に、余暇をどのように過ごすかを真剣に考えなければいけないと言っている。

 そうは言っても、100年後も一所懸命働いている心配がある。長い間世界中で、働くことが身に染み付いているので、2030年も働いているだろう。その時の処方箋をケインズは考えていて、――ゼロ金利でも働かなければならない人は精神病院に行け。軽度は入院、重度は刑務所に行きましょう。――2030年はゼロ金利なのに、働け働けという人は病院に行ったほうが良いと。(笑い)プラス700時間をどうするか、考えましょう。

蒐集の歴史… 土地から資本へ

 でもそうはならないのは蒐集の歴史、コレクションである。資本主義社会になってからは、コレクションの対象は土地から農業社会、工業社会になり、いつでもどこでも何にでも置き換えられる「資本」がコレクションの対象になった。

 この資本が資本家を操る、資本家は資本の操り人形となる。人格を持たない資本があたかも人格を持つように、資本家にもっと利益を増やせということになり、その結果、使い道がない内部留保利益が日本の場合、440兆円を超えている。M&Aをしたりアメリカの原子力会社を買ったり、いろいろして、将来の不良債権を一所懸命作っているではないか。

 蒐集の歴史、コレクションという言葉は、たどっていくと救済、キリスト教の考え方で人類を救済する。そのためには貯蓄、蓄えをする。コレクションもSaveも救済。(金などをむだ遣いせず)節約する。慈善事業や教会のための寄付金の意味も持つ。もともと同じ単語から発生していて、コレクションの歴史は言い換えると貯蓄の歴史である。経済では節約しろという。節約が銀行に集まって、銀行が企業に貸し出し、企業は設備投資をして工場や店舗、オフィスビルを作る。

 「貯蓄率」というのは、本当は現金や紙幣を持てばオールマイティなのに、わざわざ不便な銀行に預けるから衝動買いもできない。不便な銀行に預ける不便代が、金利となる。でも今のゼロ金利は不便な社会ではない、コンビニエンス社会だから。

 今では日本に5万店舗上、コンビニエンスストアがある。それを5千万世帯で割ると、コンビには千世帯に1店舗、来客数が5万店平均で1100人。1世帯で毎日必ず1人はコンビニに行く。1日1回行けばそれで必要なものが買えるのがコンセプトだから、コンビニが7-8万店になることはもう、ありえない。8万店になれば必ず一日2回、来てもらわなければならない。まずコンビニエンス(便利・重宝)でなくアンコンビニエンスに名称を変えなければならない。

 「食」の状況では、食品ロスが1-2割と農水省が発表した。食べられるのに捨ててしまう。食品の生産力は1-2割が過剰である。

 「衣」類は日本で40億着作っているそうだが、そのうち10億着を捨てている。毎年1人30着も買っている、どうなっているのだろう。日本のアパレルはほとんど輸出がないので、3割は生産過剰、欠品ロスを防ぐために常に余分に品ぞろえしている。

 「住」宅は13%、820万戸の空き家があるのに、毎年100万戸以上の新築がある。2040年には空き家比率が40%になる予想もある。両隣が空き家になる。土地も、九州を上回る面積で、地主が行方不明。相続の時に名義変更しない。将来北海道の面積になるとも。

 日本は土地、住宅、衣類、食品も全部過剰。だからゼロ金利とは、これ以上生産力を増やすと不良債権不良在庫を作ってしまう、そのメッセージなのである。

 資本は無機質で、しかも上限が無い。コレクションの歴史では、これで十分との条件は設けてない。これで十分と言った瞬間、エリート層から弾き飛ばされるというのが欧米の掟だと、イギリス人のコレクターをおちょくって冷ややかに書いているノンフィックションの中にある。現実にそういうのがある。内心はこれで十分と思っても、常にコレクションを続けている。小説ではそれはもう、すでに犯罪的だと言っている。

 ケインズも同様に、2030年になってもお金おカネと言っていることに、イギリス人のみならずアメリカ人も日本人も、犯罪的行為と言っている。

 しかし現実に経済活動している人たちは、そのことを言うと経団連から追放されかねないから、利益利益と言う。すると支配と被支配の関係が生まれる。

支配と被支配の関係

 20世紀のアメリカの考え方では、債権者が債務者を指導する権利がある、これは神聖なる使命だと信じている。

 最近の例では韓国、少し前のメキシコ、アルゼンチン、ベネズエラなどなど、借金が返せない。するとIMFが乗り込んできて債務者に「節約せよ」と指導する、ここで支配被支配の関係ができあがる。

 軍事力による植民地主義はコストがかかる。債権債務の関係から、借りたものは必ず返さなければならない。これは近代の法則。これで世界のリーダーの地位を確保していくことになる。

 債権者が債務者を指導するときに、黙っていたのではなかなか借りてくれないので、グローバリゼーションで「お金が国境を自由に超える」ことは善である、という考え方を持ち出す。お金が国境を自由に超える、これは貯蓄不足の国には外国資本を導入することになり、外国人株主の言い分を聞く事実上の債務者になる。EROI(エネルギー収支比=産出エネルギー/投入エネルギー)となる。貯蓄不足の国はそれでも良いかもしれないが、日本のように貯蓄が十分過ぎるほどあるならば、外国資本を借りる必要がない。新興国はグローバリゼーション、外国人から自由に国境を越えて金を借りてバブルとなり、はじけて返せなくなる。

 そこで事実上IMF/アメリカが(アメリカは1970年代にIMFの中のケインズ主義者を排除して、全部新自由主義者に変えたそうで)、構造改革、民営化をということになり、自国の会社が割安価格で外国の手に渡る。OECDもギリシャ危機のときに同じ役割を果たすことになる。

 中国AIIB(アジアインフラ投資銀行)はこれからアジアで、今までのポンド建てを元建てに切り替える。債権者のAIIBが債務者であるアジアにいろいろ斡旋する。

 バブルはこの30年間、3年に1度ぐらいに出来てははじけて頻発している。バブルはなぜ発生するのか。誰かが一人で指揮してやっているわけではない。根底に無機質な資本=上限なく増やさなければならない金があると、国境を超えて自由に行き来し、行き過ぎてはじける、という関係がある。

 日本も国は債権国だが90年代、不良債権処理で外国人株主がいっぱいできて、事実上、日本の会社はROE(株主資本利益率)を上げようとし、ようやく8%になったが、政府はさらに15%―20%の国際標準にあわせてあと倍に、ROEを上げろという。日本は被支配側に入っている。

 マスコミも外国人株主の多い企業を優良企業という。情報操作されているのかもしれないが、多くの人が信じている。

 貯蓄不足の時ならばそうかもしれないが、貯蓄過剰になったら、外国人株主の比率が低い会社ほど良い企業である、となる。日本も債務者の側にいる。

 唯一、国の借金、1千兆円の借金の9割は日本人が持っているからまだ、可能性はあるが、毎年30兆円の赤字国債を出していたのでは、徐々に外国人投資家に置き換わっていくと言える。必ずしも安心はしていられない。

2.近代社会とは…「より遠く、より速く、より合理的に」

 近代社会においては資本不足、国家の耕地面積を広げる、食料、農産物が手に入り、自国民が飢餓、飢え死にする危険から解放される。

 近代社会は貨幣を資本に置き換えて、無限大に増やしていく。そのときにより遠く、早く、に換えている。

 上司より早く出社し、誰も行かないところに出張するのが出世、近代社会。より遠くに行くのも近道をえらぶ、それが合理的、となる。

 「より早く」を実現してくれたのが、「生産を化石燃料に全面依存する社会」で、石油石炭天然ガスに全面依存する。それまでは地上の土地は人間の小さなエネルギーに変わって、牛馬の重労働で荷物を運ぶ、そのための牧草地確保、そのためのコメや小麦耕作地が減り、人口増に制約がかかる。豊かな生活をするために、牛馬をたくさん飼育しようとすれば、小麦やコメの生産物が牛馬に回って、人間の人口増に貢献できない。「マルサスの人口の罠」が働く。

 エネルギーは、森林を伐採し暖房に当てるから、都市は川の傍にしか出来ない。水車を利用するので住む場所も限られる。それが地下資源である化石燃料を使うことで、地上の資源は全て人間のために使えるようになり、産業革命以降で飛躍的に生産性、生活水準が上がった。

 地下にある化石資源を発見したときは事実上無限に、1バーレル1ドルないし2ドルで好きなだけ使えた。国際石油資本が生産量と値段を管理するので、より早くより遠くを考えるときに、コストを考えなくて良かった。

 遠くに行くには飛行代金がかかる。あと1㎞余分に遠くに行くには限界費用がすごく上がるのだが、国際石油資本というのは最初の1㎞も、1万㎞後のさらに1㎞も、追加料金は同じ値段で動く。事実上、限界費用が逓増していくのを、そうならないようにしている。近代社会では石油ショックはその意味で大打撃の事件だった。

 それでも第一次石油ショックの時、1バレル2ドルだったものが、12-40ドルになり、21世紀では100ドルを越える。日本は今でも14-15兆の経常黒字があるから、石油がバレル100ドルでも、計上黒字の範囲内でいまの快適生活が出来る。150ドルを越えて、経常赤字になると、先ほどの30兆円の国債は外国人投資家に買ってもらわなければならない。毎年(1千兆円の)3%の利回りを10年も続けたら、いま10%の外国人投資家比率が40%になる。すると日本の国債市場、利回りを上げたり下げたり、変えることが出来る。10%ぐらいの時は、外国人投資家は先物売りを仕掛けては負けている。日本の銀行と生命保険会社は全く動かないからだ。この30年間、外国人投資家が全戦全敗なのは、日本が経常黒字だからである。

 日本の経常黒字は全部、自動車会社の黒字が生み出している。リーマンショック以前は日本の経常黒字は20兆円を超えていた。この時は電機・機械産業と自動車産業の黒字は全部、日本の経常黒字だった。リーンマンショック以降は日本の電機・機械産業の海外生産比率が高くなったので、いまは日本の自動車会社だけが日本の黒字を生み出している。他は鉄とか化学など、均せば収支トントン。日本はそれまでは3番バッター、4番バッターがいたが、いまは4番バッター1人しかいない。しかも自動車はこれからエンジンがどう変わっていくかわからないので、30兆円の財政赤字、赤字国債を出していても大丈夫というのは、自動車がいつまで、今のような黒字を出し続けられるかにかかっている。1億2千万人の生活水準は、自動車産業に全部かかっている。自動車産業が永遠に大丈夫と思うならば、いまのような年間30兆円の赤字国債を出しても何とかなるが、そうはいかない。財政再建は非常に大事なのだ。

 次にEROIについて。今までの日本は、石油は1バレル100ドルのお金はある。一年の生産活動で自動車産業が万全な限り日本は大丈夫なのだが、これからは石油の値段の問題ではなくEROIが問題となる。

 今は1エネルギーの投入に対して8ぐらいの産出エネルギー、70年代の生産現場では30、20世紀のはじめは1投入に対して100の算出エネルギーを獲得する。これは生産現場での話。

 今は1投入に対して8だから、差額の7が自由に使える。8のうちの7だから87.5%が自由に使える。EROI時代には、8割自由に使えれば問題は無い。ところが最先端のシェールオイルとかシェールガスは1投入に対して3しかない。自由に使えるのは2しかない。

 中東の砂漠の下に残っている油田を全部平均すると8になる。サウジアラビアもこれからは、国民から自動車に乗り換えたいという要求が出る。サウジは自国民の要請を無視できないので輸出を減らして、国内消費に回すことになる。

 すると日本が使える石油は、海底油田の3-5しかない。ブラジル沖の海底千メートルから地上に持ってくる。もし全エネルギーのEROIが、取った現場で1投入に対して3しかなかったら、家庭に届くときにはゼロになる。消費地までパイプラインなどで運ぶがそこでストップする。早く再生エネルギーに切り替えなければならない。

 いまは東京湾岸に天然ガスを使った発電所がある。消費地に近いところでそのまま、地下にある天然ガスを持ってくる。しかし太陽光は、人口の3-4割が住んでいる東京に集中照射を、と太陽にお願いすることはできない。これからは人口の都市集中はできなくなる。

 都市化というのは、近代社会の「より遠く、高く、合理的に」のうちの「より高く」、高層ビルも都市化の象徴になる。24時間空調も高速エレベータも、エネルギーがかかる、水道は50階のタンクにくみ上げる。そもそもそんなエネルギーは使えない。50階に高層化すると、ワンフロア―当たり50分の1しか、太陽エネルギーを使えない。EROIが3以下になる前に、早く再生エネルギー、自然エネルギーに切り替えなければならない。その時はどういう社会なるか。「より遠く、高く、合理的に」の逆でより近く、遠くに行くな、エネルギーを使うな、となる。

 物理の先生は、エネルギーから言えば雨の日は休日になるという。性能の良い蓄電池が出来ない限り、工場が動かない。

 近代社会は化石燃料に依存して豊かな生活を築き上げることができたが、化石燃料がなくなれば近代社会は成り立たない。

 その時に、資本主義の終わりが先か、化石燃料の枯渇が先か、となる。日本とドイツはゼロ金利なので、これ以上資本を蓄積しなくて良い、ぎりぎり間に合った。

 化石燃料を使って「より遠く、より早く」豊かな生活のために資本を積み上げた。それが今は衣食住、全部で過剰で、もう化石燃料を使って資本を急速に増やす必要はない。しかし新興国はこれから近代化が始まる。化石燃料が使えない中で肥大化、都市化を進めることはもう無理だ。

 いま日本では、中国の勢いがあるから、日本は失われた20年、30年で落ちぶれているのではないかというが、そんな心配は必要ない。自然、再生エネルギーに依存した社会をどう作るか、を考えなければいけない。

 働き方も、700時間は解放する働き方にする。利益も3分の1でよい。年間最終利益50兆円。それを積み上げて使い道が無い450兆円。利益の出る会社は売りたくないもので、利益の出なくなった会社をどれだけ高く売るかに苦しんでいる。

3. 貯蓄と投資…「過剰・飽満・過多」の時代に資本はこれ以上必要か?

 個々人はすでに、ケインズの言うとおりになっている。国民生活に関する世論調査では、「将来に備えて貯蓄を重視する」というのが2017年では32.7%、「毎日の生活充実、楽しむ」という人が59.6%。毎日の生活重視派が差し引き26.9%と上回っている。多数派になっている。これは1986年から始まっている。1985年の多数は「将来に向けて貯蓄」という考えで、この段階では「まだちょっと足りない」という状態だった。

 これを年齢別に見ると、30-39歳までは「将来に備える」を重視、「毎日の生活充実」は60歳以上。高齢化比率は2040年まで高まり、65歳以上がピークをつけるのは2045年、75歳以上に限ると2055年ぐらいまで高齢化比率は上がっていく。ということは、「毎日の生活充実」する人がをこれからも多数派になっていく。

 実は個々人は、もう貯蓄はしなくてもよいと考えるが、若い人はそうではない。私は健全だと思う。ここから何かいえるか。本当は若い人から消費税を取ってはいけない。一所懸命貯蓄しようとしているのだから。

 消費税は一律簡便のほうが良いので、いちいち年齢証明書を出すのは嫌だというなら資産課税がある。資産をたくさん持っているのは60歳以上で、毎年100万人以上が亡くなっているが、そのとき年に40-50兆円の資産相続が発生している。だが国の相続税収は2-3兆円、37-38兆円は全部、1対1でお子さんに相続している。これが均等ならばよいが偏りがある。それで若い人は「将来に備えて貯蓄」となる。だから日本人の個々人は、ケインズの言う通りのことを実践して、毎日の生活を充実するように心がけている。

 ところが企業は毎年、配当を除いて30兆円の企業貯蓄をしている。企業はケインズの言うことを聞いていない。資本はなんのために蓄積するか。それは明日死んでも、救済出来るように、資本、生産力を確保しておかなければならない。これがもともとの定義である。

 いま考えなければならないのは、企業経営者が何のために毎年50兆円の利益を出しているのか。「人生と働き方を考える」、一番考えなければならないのは、企業関係者ではないのだろうか。                           (拍手) 文責編集部

――― 水野和夫 ――― 1977年 愛知県立旭丘高等学校、早稲田大学政治経済学部を経て、1980年早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(国際證券、三菱証券、三菱UFJ証券を経て、現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。2010年9月 内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)就任、2011年11月 内閣官房内閣審議官(国家戦略室担当)、2012年12月 経済学博士(埼玉大学)、2013年3月 国際投信投資顧問株式会社顧問、 2013年4月 日本大学国際関係学部教授、2017年 法政大学法学部教授 現代日本経済論、グローバル経済論