週刊RO通信

本気で真面目に対処しなければ

NO.1255

 19世紀、西欧の知識階級を支配していたのはオプチミズム(楽観主義)である。いわく、善の追求は正しい理性の働きによる。人は理性を働かせるものである。理性を働かせるものは正しく行動する。

 さらに、わたしたちの常識としては、人間社会は進化してきたし、これからも進化するであろう。たまさかけったいな事態が発生したとしても、それは淘汰されて、後から考えればちゃんと進化の道筋を辿っている、と。

 人間の祖先は160万年前に二本足歩行するようになり、サルから分離したとされる。人類が火や道具を使うようになったのが100万年前。農業を発明したのが12000年前。産業革命は250年ほど前である。

 人間がムラを作り、古代国家を形成していくのは、農耕社会と共に始まったと考えてもよろしいだろう。採取生活から栽培生活へ移るにしたがい、共同して生きることを体験的に知ったからだと推測する。

 人間が自然に対して自立して生きるようになったのだから、農業の発明はまさしく大革命である。昨今、ちゃらちゃら改革の革命のと、政治家が主張するのとは比較にもならないほど大革命である。

 共同して社会を営むためにはコミュニケーションが不可欠である。それは言葉があるかないかの時期から始まり、言葉をつかうようになってから、格段の進歩を遂げたにちがいない。

 いずれが先で後かはともかくとして、「コミュニケーションなくして共同なし」「共同なくしてコミュニケーションなし」という関係をきっちり理解し、押さえておかねばならない。まともな議論ができない議会は議会ではない。

 農耕社会形成の基盤は、開墾・耕作・灌漑による。人間の大地と水との格闘は古代から営々と続けられてきた。中国の聖王伝説で、舜の時代に治水で功を立てた禹が舜から禅譲により夏王に就いた話は、水の統御に早くから苦心惨憺したことを物語っている。

 酒池肉林という言葉がある。殷(~1023)の暴君紂王が「酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為す」をやった。灌漑という大事業が終われば、人々はそれぞれの耕作に励み、強い紐帯が崩れて手前勝手が幅を利かせ、その中の要領のよい奴が権力を掌握した象徴的事例でもあろう。そして殷は滅びた。

 それから3000年後の現代社会は、舜・禹的時代ではなく、紂的時代のようにしか見えないのが残念至極である。いわく、権力を掌握した連中が好き放題やっている。内外に理不尽な権力者が多すぎる。

 わが国において、官僚は「理非曲直」に基づいて問題を処理するものと信じられていた。理非曲直の基本は、憲法であり法規則である。ときにはあまりにも融通が利かないという批判があったほどである。

 しかし、いまや官僚は融通無碍に問題を処理するシステムと化した。理由は明確である。官僚に仕事をさせる政治家、それも中枢中の中枢が憲法も法規則も平然と無視するからである。

 中国には「上に政策あれば下に対策あり」という名言(?)があるが、わが国の場合は「上は法律をつくり、上の解釈や政策は自由自在」である。

 ベンサム(1748~1832)は「最大多数の最大幸福」を道義的自然法とした。わが国では、この言葉が単純に「多数決原理」と解されているが、それは間違っている。

 なぜならベンサムは、幸福という善を発見するのは哲学者の領分だとする。政治家諸君は哲学者でないのは当然ながら、「幸福に接近するものと、そうでないもの」のいずれが多数かということなどてんで考えない。

 働く人の圧倒的多数が、無視するか反対している「働き方改革」を推進するのも典型的事例である。それが可能なのは、たまたま議会で多数を制しているからに過ぎない。権力による衆愚政治そのものである。

 もう1つ、19世紀には、「世論は合理的に提起された問題について必ず正しい判断をする」「世論は正しい判断に基づいて行動する」という、自由主義の精神が社会のあるべき姿だと考えた。悪しき権力は潰さねばならない。

 敗戦後、せっかく手にした民主主義が踏みにじられている。後の世代に対してこのままバトンタッチできない事態にある。