論 考

いい加減にするな、目を覚ませ

 仮に、たまたま昭恵女史が小学校の名誉校長に奉られて、それを籠池夫妻が悪用したのであれば、財務省の諸君が勝手にオーバーランしたのであるが、少なくとも改ざんされた文書の内容からすると、昭恵女史の「口利き」があったことは歴然としている。

 ここまできて、財務省職員にのみ責任を負わせるという態度を貫こうとすれば、それはますます国政の私物化に他ならず、まして昭恵女史の議会証言もさせないというのは、極めて強権的政治を貫くことになる。

 今朝(3/13)の社説、読売は「森友書き換え 行政への信頼を失墜させた」、日経は「行政の信頼損なう『森友文書』の解明急げ」と主張するが、この場合いずれも「行政=官僚」次元で問題を止めようとしているのは明らかであり、行政への信頼が「失墜」「損なう」という次第で、この表現は、問題が発覚した当初と依然同じトーンである。

 すでに、安倍・麻生の関与は疑いがない。と、わたしは考えるから、その文脈からすれば、読売・日経もまたジャーナリズムの精神をうっちゃって、権力にべったり追従していると批判せざるを得ない。

 こんな新聞はデモクラシーを妨害する存在だと断じざるを得ない。