週刊RO通信

明治『社会百面相』と当世気質

NO.1237

 作家・評論家の内田魯庵(本名は貢 1868~1929)は、「私は芸術家にも学者にもなれなかった。結局、なんにもなれなかった」と息子の巌に話した。巌の婚約者に魯庵は「どうぞ学者を生んでください」といったとも。

 立教大学、早稲田大学の前身で英語を学んで、翻訳を通して文学に開眼した。しかし、学校はいずれも卒業せず、文部省の翻訳係であった叔父の下で翻訳の腕を磨いたのが出発点だったようだ。

 非常な勉強家で、いつも図書館で勉強した。その生き方の精神は――わが悪文を以て我が気品を陶冶し貧しきわが頭脳を修養し得るを喜ぶ。——誠に一念向上の路を志して飽かず倦まず奮闘する――にあった。

 今年は明治150年、政界や実業界で活躍した明治人が後世に名を伝えるけれども、やや大げさにいえば天地がひっくり返るくらいに文明開化が進んだ明治改元の5か月前に生まれて、人間を追求し続けた傑物である。

 明治30年ごろになると、日本の資本主義も大きく育ち、同時に労働問題もまた浮上する。労働条件なんてものではない、「働かせてやる」のだから、文句などいうなというのが当時の資本家気質である。

 そんな中で、組合運動の闘士たちは「労働の神聖」論をぶった。労働は社会の価値を生み出すのだから社会基盤を築くのである。労働が神聖ということは働いて価値を生み出す人々をもっと大事にせよというにあった。

 それを眺めつつ、魯庵は一矢放つ。「無差別にペラペラ喋るだけでは演説としてはさらに趣味がない。力が抜けている。熱誠が欠けている」。さらに「労働の神聖論なぞはありがたくない」と決めつける。

 いわく「ハイカラ紳士では油臭い労働服の職工に同情するというわけにはいくまい。1日12時間汗を流してやっと60銭か70銭だ。労働問題は単純な学術上の問題じゃあない。元が人道から生じたのだ」

 なるほど、労働の神聖は理屈として妥当である。社会で必要とされるから働いて報酬を獲得するのである。その社会において必要とされるからには、すべての労働が必要不可欠の尊敬をうけて当たり前である。

 しかし、いちばん根本の働く人に立脚した問題解決が追求されてないではないか。今日流なら、政治家や学者やその他いろいろが喧伝する「働き方改革」など、いわば周辺の取り巻きが囃してメシの種にしているだけだ。

 労働の神聖を宣揚するのであれば、働く人自身がその奮闘努力の果実を喜んで味わえるものでなければならない。労働の神聖を掲げても、結果的には労働の犠牲になっている。魯庵は120年前に指摘していたわけである。

 魯庵の舌鋒は鋭い。たとえば「議会、かえって政府の鼻息を伺い相槌を打つ」「(代議士は)国家あるを知って国民あるを忘れておる」「国民を代表するという真性の意味が理解できていない」「めいめいの選挙区の利害のみで己の算盤を弾く」「株屋と議会と肝胆相照らす」などなど。

 魯庵の時代は今日のようなデモクラシーではない。権力者が天皇を掲げれば一切の論法が拒否される中にあったが、まことに爽快な主張である。

 さて、前述のように言葉があっても性根が入らない理由はなにか。魯庵は「人民が自家の権利を自覚して自ら国政に参与しようというので血を以て憲法を買って議院政治を始めたのでないからだ」と喝破する。

 そのような気風において、「日本の政治家は政治で飯を食おうというのだから良心の切り売りをするのが公然の商売となる」「政党者流ぐらい下らぬ者はない。多数だと、多数を頼んで好き勝手な悪事をする。少数だと、意気地なく腰が抜けてしまう」

 魯庵流をそのまま今日に当てはめられなければ上等である。しかし、政党がパーティではなく徒党に見えるのは遺憾ともしがたい。

 一方、働く人は明治時代よりもはるかに社会的地位が上がったはずであるが、わたしの目には、どうもそのようには映らない。組合があってもユニオンではなく従業員親睦会的になっているという指摘もある。

 ゴディバが日経(2/1)に「日本は、義理チョコをやめよう」という広告を掲載した。義理と人情が日本人気質だと指摘したのは竹越三叉(1865~1950)だが、なにやら明治から少しも前に進んでいないような気がしてくる。