論 考

弱虫としての人間

 カナダのトルドー首相が、1950年から90年にかけて、LGBTの人々が公職から追放されたことについて、議会で謝罪した。「恥ずかしく、悲しく、遺憾だ」として、sorryを10回以上語ったそうだ。議員たちは総立ちで拍手したという。美しい場面だ。

 わが議員たちは平気で差別発言をして恥じない。未熟、品性下劣、おたんちんな発言なのだ。なにゆえ、そのような発言をするのか? 要するに弱虫なのだと思う。

 他者との間に対等関係を作られない。自分が常に優位にないと真っ当に喋られないのである。なおかつ、上等な人とそうでない人のいずれが多いかというと、理屈では後者が多いから、多い人々のなかに紛れ込もうとする心理状態なのである。

 最近、自ら弱虫を露見させたのは、竹下、常連の麻生に山本の各氏である。理性的でないし、病気でもない。要するに性質なのだから直らないわけだ。