筆者 高井潔司(たかい・きよし)
何を言い出すかわからない大統領と、何も考えずに言ってしまう首相の日米会談が終了した。心配された過大な要求も、不用意な発言もなく、無事、何事もなく終了しましたね、で何かやる意味あったの? というのが私の感想だ。
ところが読売新聞の記事と社説を見て驚いた。一面のトップ記事の見出しは、「中東情勢安定へ一致」、「トランプ氏日本評価」、「NATOとは違う」と、会談が成功に終わったかの印象を与えた。実際記事の前文は「トランプ氏はホルムズ海峡を巡る日本の対応を評価し、首相は初訪米でトランプ氏との結束を確認することに成功した」と結んでいるので、読売は「成功」と判断したのだろう。この記事に添えた「専務取締役編集担当」という大仰な肩書の付いたコメント記事も「国際連携の一歩踏み出せた」と大絶賛である。
社説はどうか。通常は二本の社説が並ぶ社説欄は、この日、一本の大社説。見出しは「中東の安定に向けた出発点だ」「停戦の実現へ国際世論喚起せよ」と、これまた高市首相の”進軍ラッパ“に煽られたかのような元気印、何の憂えもない。
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数日前、読売記者時代の同僚から「文春図書館」という週刊文春の書評欄の記事が送られてきた。紹介されていたのは『読売消滅』という本で、書評を読んでみると、どうやら読売が、昨年亡くなった渡邉恒雄主筆の「遺志」で、あくまで紙が中心、デジタルは付録と、デジタル化に消極的であることが、その書名にある『読売消滅』につながると書いてあるらしい。残る人生も短いので、こういうキワモノの本はもう読まないことにしているが、読売の日米首脳会談の記事を読んだ時、私はこの本の主張とは逆で、「読売安泰」と感じましたネ。
紙の新聞は、読売に限らず、朝日も毎日も、消滅寸前である。だから文化庁も一つ位、「レガシー(文化遺産)」として新聞を残したいでしょう。となると、やはり日本の新聞の特徴である大政翼賛型の新聞を残したいのでは、と考える次第だ。となればどこの新聞が生き残るのか、歴然としていますネ。
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でも一つの懸念は、新聞社には経営幹部とちょっとばかり考えの違う記者たちがいることだ。「記者魂」というのが邪魔して、そう簡単にレガシーの座にとどまるのを良しとしないのである。この日の紙面だって、三面の解説になると、「物別れ回避、日本安堵」といった見出しで、会談が成功なんてとても言えない舞台裏をほのめかしている。そもそも目立ちたがり屋の高市首相はお得意の共同記者会見を開けなかったではないか。それこそ何を言い出すか、何を言っちゃうかと、ハラハラドキドキのなかったことが、同行の官僚たちにとって、見出しにある「安堵」であった。
さらに読み進んで国際面となると、これはすごい。トップ記事は、「トランプ氏三重苦」「エネ危機/戦闘拡大/同盟国は冷淡」の見出し。この記事を読んだら、いくら元気印の首相でも、社説の「中東の安定に向けた出発点だ」「停戦の実現へ国際世論喚起せよ」の要請を、おいそれと受けるわけにはいかないだろう。国際社会から非難囂々のイラン攻撃の「法的解釈」もできない首相が、三重苦のトランプ氏の意向をくんで、どんな国際世論を喚起できるというのか。
さらにアメリカのメディアの反響を伝える囲み記事は「高市氏『痛手なく』『約束曖昧』」と、会談が何ら成果のなかったことを示唆する内容だ。何と、かの高級紙ニューヨーク・タイムズは高市首相の初訪問を「大きな痛手を受けることなく終えた」と評価し、「成功の理由として、首相の親しみやすい魅力を挙げた」と、この囲み記事は伝えている。「評価」とか「成功」といった表現をこの記事は使っているが、タイムズがその表現を使っているのかどうか不明だ。ちなみに朝日はこの記事について、こう報じている。
―米ニューヨーク・タイムズは20日、高市早苗首相の「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド(トランプ米大統領)だけだ」との発言について、「高市氏がトランプ氏に対して一貫してとってきた作戦である『愛嬌(あいきょう)(charm)』を頼りにした」と論評した。
よくよく考えてみるに、タイムズの記事はどこやらの知事が東京の知事をおばさんと言って物議を醸したと同じくらい、日本の首相を侮辱しているのではあるまいか。少なくとも皮肉の表現であることは疑いない。
とまあ、読売の各面の記事を読んでみると、経営者側の「社論」と現場記者との「報道」にはギャップが見えてくる。ナベツネ時代はそれをむりやり「統一」させて、報道の多様性を歪めてきた。独裁者亡き後、「専務取締役編集担当」の解説を登場させて、また「統一」を図ろうとしているのかも知れないが、世界は一つの声ではない。それを現場の記者はしっかりと伝えてもらいたい。
