NO.1658
少し感情的になるが、お許しください。30年以上の同志であり親しい友人である儘田勉さんが78歳で旅立たれた。NTT労働組合群馬県支部で1980年代から2000年代まで第一線のリーダーとして活躍した。勇退後も組合運動の動向を気遣いつつ、農作業に打ち込んでいた。突然病に倒れ、辛い闘病生活を克服しリハビリに入った。てっきり快方に向かったと思い込んでいたが、また新たな病に襲われて、こんどは再起できなかった。
彼が取り組んだ活動はきわめて多彩で、一つひとつがドラマ性に富む。おもしろいから仲間が多数参加する。全国的に組合の停滞、退潮著しい時代にあるが、彼らは元気溌剌とした組合を作り続けた。ここでは1つだけ活動の片鱗を紹介したい。(他は別途紹介する)
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(後に阪神・淡路大震災)は、とくに神戸・淡路を中心に生活インフラの壊滅的被害をもたらした。被災地外では自粛なる奇妙な現象が発生した。自粛はダメだ。被災地外では被害を取り戻す馬力を発揮するのが筋だ。われわれは急きょ「自粛反対元気出せ」と称してオークション・パーティを開いた。仲間が持ち寄った品物をオークションで競り落とし、収益を被災地へ送る。群馬の仲間も多数馳せ参じた。
儘田チームは3月「神戸連帯元気出せ」として、群馬県高崎市から長野県善光寺までの123キロメートルを徒歩で行くイベントを企画した。300人ほど参加した。ゼッケンをつけて歩くと人々が話しかけてくる。自粛してはダメだ。元気を出して神戸に連帯しようと趣旨を話すと、驚いたり、呆れたり、暖かい飲食を差し入れてくれたり、カンパを預けたり。イベントの狙いは成功だ。
難所は軽井沢手前の碓氷峠、降雪、積雪で転倒する。寒い、冷たい、痛い。主催者は全行程に救援車を配置した。途中リタイヤしてもよいが、翌日善光寺に集合する。翌定刻、仲間が揃って待機、少し時間を超過したものの、仲間の1人が完全踏破してたどり着いた。足裏はチマメだらけだ。感動の拍手、歓声、涙ぐむ人もいた。
儘田さんが追求し続けたのは、組合運動の活発化だ。普通にいう組合活動ではない。組合活動は執行機関要員の活動に過ぎない。組合運動とは、実は常識なのだが組合員が参加するものである。もちろん、組合員が組合費を収めているのだから参加はしている。しかし、組合費が機関要員の活動に消費されるだけなら運動がない。組合費を収めて仲間になり、自分の考えや意見を仲間に伝え、話し合い、不満や欲求を組合の行動につなぐのが組合加入の意義だ。
1970年代までは、賃上げというだけで人は結集したが、賃上げと労働条件の向上によって、そのインパクトが劣化した。いわゆる組合無関心が主流になった。しかし、リーダー諸氏は、「組合員が無関心で困る」「連帯心が薄くなった」などぼやくのみ。的を射ない発言である。あらかじめ連帯があるから活動するのではない。連帯はつくるものだ。これを忘れたから運動が退化し続ける。
誰かが提案して、仲間が共感し共同するから連帯が発生する。リーダーは連帯をつくる核でありたい。つまり、リーダーたるものは、連帯の種を探し、撒き、水をやる。その基盤として常に土を耕さねばならない。儘田さんは、組合という畑でも農業者であった。
大自然相手の農業者には休みがない。儘田さんは長くリーダーの座にあったが、リーダーの座にあるために行動したのではない。だから、休みなく学び、考え、提案する活動者であった。後輩の批判を語らず。これが彼の矜持であるが、停滞退化の一途をたどる組合について、こんなはずではなかったと苦渋に満ちていただろう。
彼がリハビリに入る時、「おれはやるだけやったんだ」と語った。わたしは、「もちろんだ、誰にもできることじゃない」と応じながら不覚にも涙が出た。儘田さん、本当にありがとう。
