NO.1654
政局が安定しなければ政治が安定しないという考え方は妥当だろうか。たしかに多党政治体制が政府与党に安定感を与えないのは事実である。ただし、政府与党に安定感があっても、必然的に国民生活が安定する保証はない。これを押さえておきたい。
高市自民党は、政権安定を訴えた。政権が安定すれば、みなさまの暮らしがよくなるという論法である。この論法はなかなか霊験あらたからしく、自民党は戦後のほとんど政権を担ってきた。
にもかかわらず、いまの人々の生活不満は、安倍内閣以降一貫して自民党政権下で高まってきた。多党化が政局不安定を生み出したのではない。自民党政権が生活不安や政治的不満を高める政治をおこなったから多党化し、政局不安定になったのである。
自民党自身が招いた多党化であり、政局不安定である。ために自民党政権は、野党工作に神経を使わねばならなかった。つまり、政局不安定だから政府自民党は野党の意見を聞いて政治を動かす。自民党の独善でなく各方面の意見を聞くから、政府自民党の手間は増えるにしても、よい結果を生み出す。
民主主義とは、手間暇惜しまず衆議一決する政治体制である。政府自民党による恣意的政治がまかり通るならば、かりに善政であったとしても非民主的である。つまり、政局不安定なるものは、社会の不満を吸い上げて政治の安定を生み出す、政治的フィードバックである。問題解決を望む国民からすれば、むしろ好都合である。
官僚が下から上がってきた書類を一瞥してハンコを押す。仕事がジャンジャン片付く。民主政治を能率や効率で推し測るのは官僚政治である。市役所の「すぐやる課」などは、決まっている手続きに時間がかかるという批判をうけて生まれた部署である。政治家が扱うのはそんな事務作業ではない。人々にとって暮らしやすい社会を建設するために、衆議に諮る広場である。議論百出が当然である。
商品を見せず、おいしそうな話満載の中身スカスカ演説で大人気を得た高市自民党が多数議席を獲得したことについて、有権者はいかなる心配りをするべきだろうか。よく売れる商品の売り手は強気になる。強気の売り手は買っていただく気持ちを忘れやすい。手抜きの商品が販売されないように厳しい視線を失わぬことが大切だ。
商品、いや政治に対する厳しい視線とは何だろうか。消費者が、自分が切実に欲しいものに手を出すのは当たり前である。ただし、政治という商品の品質は、消費者自身の投資効果だけを考慮しただけでは質が向上しない。商品が「社会」にとって有益かどうか、自分が考えうる範囲でいいが、常々検討してみてほしい。
ところで、社会という概念はつかみどころがない。社会は個人が集まって構築しているので、社会に有益とは、連帯が増す方向かどうかであろう。連帯とは何か。他者に対する同情と共感である。
わたしは1990年代半ばから社会の状況を、連帯感喪失性社会的自閉症と分析している。いま、人々は閉塞感にとらわれているとしばしば論じられるが、つまりは社会おいて求心力が働かないのである。お互いバラバラだから、同情と共感の出番がない。
労働現場を考えてみよう。残念ながら、働く人の連帯がない。仲間同士のコミュニケーションが不全である。同情も共感も沸いてこない。ハラスメントの被害がしばしば発生する。ハラスメントを法律で対処しても効果は不十分である。仲間、社会の気風が変わらなければ被害は絶えない。弱い立場が被害者になりやすい。
昔から日本人はパブリック・ウェルフェアが欠落していると指摘されてきた。この語源は、社会の人々の幸せであり、その具体策として社会保障制度が展開されてきた。わたしの幸せとみんなの幸せが共通するように、みんなで追求していこうという積極的な行動への呼びかけである。これこそが政治の根幹である。忘れまい。
