くらす発見

人生の「徒弟的」考察1 超高齢社会と元気

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 これからの連載では、わたし自身の思索・行動を材料として、人生にヒントがないか探ってみます。自分をケースタディするつもりです。

 1971年から高齢化社会に入りました。世間ではさして関心が示されませんでしたが、わたしが属した労働組合では、中高年組合員が、「子持ち中高年は生活が非常に苦しい。なんとか中高年対策をせよ」と声を上げました。当時は、高度経済成長の終末で、素早い企業は、中高年を狙ったリストラを始めており、中高年対策といえば中高年排除論と実践でした。わが組合員は正反対の主張をして中高年対策という言葉を使いました。(もちろん、こちらが正しい使い方ですが多くの企業が中高年排除の中高年対策をおこなっていましたから、ネーミングからしてわが組合はユニークな存在でした。)

 その思索過程でわたしは、従来は「青年の時代」であったが、将来は「いぶし銀の時代」にするべきだと考えました。もちろん漠然とした発想でした。実際、いまの超高齢社会をみれば、いぶし銀のような渋さどころか、一歩踏み外すと姥捨て山に逆流しかねないみたいです。

 経済的にみても、日本社会は1980年代後半にバブルが崩壊してから、いいところがありません。最近、株は急上昇しましたが、社会全体の景気感覚はそれとは無関係です。国債を異常に発行したつけがてきめんで、景気を押し上げるどころか超円安が進みました。物価上昇の原因は円安ですが、だからといって簡単に方向転換できません。

 1970年代までの社会の活気に比較すると、いまは沈滞しているというしかありません。社会も個人も活気がない。個人の総和が社会であると規定するならば、個人の元気が社会の元気である。元気ない個人が多ければ社会は元気になりません。生活が厳しいから元気がないのでしょうか? わたしの記憶では、1970年代までの物価上昇は非常に激しく、生活はいまより苦しかった。しかし、しょげかえっている気風ではありませんでした。生活が厳しいから元気がないのではない。元気がないから展望が持てず、生活の厳しさが支配して、ますます元気を失う、と考えるべきでしょう。

 わたしは、昔はよかった論には与しません。時代の流れを長期的に考えれば、現在に優る過去の時代はないというべきです。過去を讃える考え方は、過去の最もよかった面を強調しているのであって、過去にロマンを求めているに過ぎません。もし、その考え方が正しいのであれば、時代を逆流させるしかありません。

 わたし自身、現在の生活よりはるかにパワフルで、賑やかで、活気あふれる生活をしていました。しかし、生活の質そのものが現在より上等だったとは少しも考えません。あえて過去を評価するとすれば、いつも前を向いて、仕事を質量ともに充実させようという姿勢が当然だったことです。成功した事業は思いつきませんが、にもかかわらず、倦まず弛まず、やり抜いたことをよしとしています。

 いまも鮮明に記憶しますが、前を向いていた仲間が背中を見せ始めたのは1990年代後半でした。これは、バブル崩壊後の悪しき官僚システムが固まった時だと、わたしは規定しています。現在は、その事態が改善されず、個人はますます強く圧迫を感じています。

 その典型的事例が、各種ハラスメント、差別や排他・排外性が拡大蔓延してきたことです。人々が抱え込んで鬱屈した不満は、マイナーな人々に向けて押し付けられます。総理大臣になる人が、これに気づかず、排他・排外性と愛国の心情を混同するような有様ですから、日本の再生だとか、世界の真ん中で輝くなど、まったくのたわごとでしかありません。

 いま大切なことは、一人でも多くの方に、わが内なる元気の意味をじっくりお考えいただくことでしょう。本シリーズの高い望みは、そのための土壌を耕すことにあります。