論 考

絶対的対立関係

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 尹氏を支持する人々は、共産主義から自由民主主義を守るといい、尹氏を弾劾する人々は、独裁主義から自由民主主義を守るという。

 双方の論理は、いずれも自由民主主義を守るというにあって、同じ理屈で相手を攻撃する。論議するべきは、共産主義か独裁主義かを双方が煮詰めないと議論は絶対平行線で、対立が続くのみである。

 尹氏が戒厳宣言した直後の速やかな反対活動が成功して、宣言を撤回するしかなかったのだが、事態を始末する動きがバラバラでもたつく隙に乗じて、尹氏はユーチューバーに便乗した情報かく乱作戦に賭けている。

 先の選挙が不正だというのは、尹支持者においてもすべての人々が確信しているわけではなかろう。

 しかし、支持・不支持両派の対立を前提とするから、道理が引っ込む事態になっている。

 つまり、尹氏がやってはならないことをやったという問題の本質が後方へ追いやられて、以前から続いている、与野党対立が盛り上がってきた。これを尹氏は狙ったのである。

 そのモデルは明らかにトランプの戦術である。政治というものは、意見対立を調整するのだから、情理を尽くさねばならない。人情と道理を尽くさねばならないのだが、尹支持者は人情に傾斜し、不支持者は道理に傾斜する。

 人情に傾斜するのは民主主義以前の心理状態である。保守全体が道理において不利だから、尹氏とユーチューバーの陰謀論を押し出すとすれば、それは民主主義における保守の取る道ではない。

 まさに時代を逆流させ、封建意識を揺り起こすようなもので、つまりは保守の政治的水準が大きく低下したことを意味する。

 昔へ戻るほど民主主義から遠ざかる。人々が開明的でない状態から学んで民主主義を育てたのであるから、それを思えば、保守の政治的水準の大幅な低下は反民主主義的動きだとしかいえない。

 韓国の民主主義は、自分たちで勝ち取った。民主主義に「した」。日本は、敗戦後、民主主義に「なった」。「した」ことが優れているのは当たり前だが、にもかかわらず、いつでも逆流する不安定な存在が民主主義だというべし。

 そして、不安定なのは民主主義ではなく、どこからどこまでも人々一人ひとりなのだと思う。