筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
いつもは2時半に届けられるが、今朝は1時45分にドサリと音がした。少し早いが目覚めれば体が反応する。朝日新聞の重量を計ってみたら約1キログラムあった。広告が重たい。新聞本紙も広告だらけ、中身は残念ながら厚くない。
昔は、新聞社の年頭所感というべく、一面から天下国家をまとめて論ずる内容がほとんどだったが、最近、本紙はふだんのトーンと同じだ。ただし広告ページが圧倒するが。まあ、昔の天下国家論ではダメだったのだ。
折込『広報せたがや』で画家横尾忠則氏・区長保坂展人氏の対談、これはちょっと読ませた。画家は、4月から世田谷美術館で展覧会「連画」を発表する。全身全精神でカンバスに向かう。一つ作品ができると、それから連想して次の作品を描く。60点の連画らしい。
ヘーゲル流でいえば、自己疎外を連続して発生させる。精神力・体力、集中力・持続力を想像するとゾクゾクする。88歳だから、体力の消耗も相当だろう。目が見えず、耳が聞こえず、腱鞘炎で手が震えてきたらしいが、年取ればこんなもんだ、手が震えたら震えた絵を描くと語る。
ああ、そうか。信長に追い詰められ、火をかけられた快川和尚が、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と偈頌(げじゅ)を飛ばしたのも同じ線上にあるな。諦念といおうが、達観といおうが、あるがままに受け入れて、なおかつわが道を行くという根性だ。自由奔放で知られた画家はいまや超越的元気に到達されたのであろう。めでたい。
やりたいことをやる。やりたいことに熱中する。それが遊びの精神に通ずる。遊びの精神とは、自分の心が自由自在に羽ばたくということだ。わたしのライフビジョン精神においては、これを絶対元気と名付けて喧伝これ努めてきた。残念ながら、巷間氾濫する似非人生設計論では、とてもこの境地はわかるまい。
毎年、元旦とてろくな記事がないとぶつくさ言ってきたが、今回は、折込広報誌に気持ちが良くなる事例を見せてもらった。
さて、本紙においては、学者・小熊英二氏が、東日本復興予算が10年間32兆円に及ぶ。被災された人々47万人で割れば一人当たり7千万円に相当するが、人口流出は止まらない。インフラ重点思考ではなく、人間の支援という視点が大事じゃないかとコメントしている。確かにそうだなあ。
人間中心に思考を再建せにゃならない。そして、人間中心なんだが、国家における人間ではなく、地球自然における人間という地平から思考を再構築しなくてはなるまい。トランプ、プーチン、ネタニヤフというがごとき、権力と欲の皮の突っ張った人間中心を排していくことは、もちろんだ。
去年今年貫く棒のごときもの、のその先に何かを見なくてはいけないな。