論 考

受けて立とうじゃありませんか

 わたしが思うに、いまの日本社会の最大の問題は、人々が、自分が関わって社会をよくしたいという気風が見られない。

 すなわち、典型的アパシー症状である。

 わたしは1990年代には、日本社会の気風を連帯感喪失性社会的自閉症と名づけていたのであるが、それはデモクラシーを前提していた。

 ところが、自民党が政権復帰して以来、デモクラシーは後退するばかりで、にもかかわらず、多くの方々がその危険性に頓着していない。

 デモクラシーが後退しているという気づきがないのは、深層心理がデモクラシー以前にあるからではないか、と(わたしは)考えるに至った。

 すなわち、敗戦でデモクラシーを手にしたが、それは先進国のように、数百年かけて営々と闘い構築してきたものとは異なって、敗戦によってポンと与えられたのである。

 数百年の葛藤・闘いなくして獲得できたことは幸甚であるが、それを自家薬篭中のものとするには、それなりの知的葛藤と訓練が不可欠である。

 こんな当然の考え方が確立していない。要するに、わが人々の深層心理は敗戦まで760年余続いた封建意識に相変わらず支配されているように思える。

 安倍氏はナショナリストだという評価がされているが、わたしが見るところ封建思想をそのまま引き継いでいる。

 当然ながらデモクラシーのデの字もオツムには存在しない。いわゆる、長州的バーバリアン(barbarian)の系譜にあると思われる。

 政権の受け皿がなくても、とにかく自民党ならびに自民党的連中を大きく減らす選挙にしたい。人選びのキーワードは「デモクラットであるか否か」だ。