論 考

官僚的人間が組織を腐らせる

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 袴田さんの再審公判が結審した。判決は9月26日に出される。

 もともと今回の再審は、おおかたの期待と予想を裏切って検察が踏み切ったもので、検察の論旨をみてもなんら新しいものはない。

 弁護側が、「袴田さんは、捜査機関によって犯人にされてしまった。裁判所は、無罪判決だけでなく捜査機関の不正違法な行為をはっきり認定すべきだ」という主張には、激しい憤りがにじんでいる。

 いまの検察官は、当然ながら実際の事件をまったく知らない。検察機構として、前任者が主張してきたことを「是」として、スタンプ的にくりかえしているだけだといわれても仕方がない。

 「是」とはなにか? よぶんな修飾的表現を取り除けば、検察は間違えない、絶対正義であるという建前でしかない。そうでなければ、自信をもって犯罪を追及できないというのである。

 しかし、検察なる機構をつくっているのは1人ひとりであって、個人は建前で動くことはできるが、間違えるし、絶対正義なんてあるわけがない。

 過ぎ去った事件を再現するのは至難の業である。

 検察の仕事は、パズルの破片がすべて集まっているかどうかわからず、いや、破片がすべて集まることはありえないなかから、事実を発見するわけで、仕事の性質は芸術的に質が高い。高いはずであるし、そうあらねばならないから、並の人間が、並々ならぬ精進を積み上げる仕事である。

 そうした精神を、人が代わっても、つねに伝えられ共有されることが検察機構に対する社会の人々の信頼を獲得する。

 かかる精神は言葉で唱えることが可能でも、現実化するのはきわめて困難な挑戦である。まして、先々やって来たことに間違いがないから、それを踏襲してなんどでも繰り返すのであれば、検察機構が絶対正義であるという誤謬に基づいて活動することになるのであって、検察機構の暴走につながりやすい。

 そうならないためには、いかに立派な先人が導き出した「回答」であっても、つねに本当か? という懐疑心をもって検証しなければならない。この懐疑心が脈々と生きて活用されてこそ検察の真価が発揮される。

 犯人対象には骨の髄まで懐疑心をもって接するが、自分たちの機構には万全の信頼しかもたないというのであれば、判断の誤謬が増えるのは避けられない。

 これは、検察だけの問題ではない。現代社会は、さまざまな機構・組織で運営されている。目的(社会のために)を忘れて、機構・組織の運営に参加することが優先すれば、その社会は官僚制社会であって、官僚的ファシズムである。

 たまたまイギリスでは、輸入血液製剤による感染で1970年代から約3000人が亡くなるという大事件が報告された。1982年から輸入血液製剤のリスクがわかっているのに、医師・政府・NHS(国民保険機構)の三者が、その脅威を軽視し続けたというのである。この検証に5年をかけた。スナーク首相は、「永遠の恥」だと語ったが、どんな修飾語を使っても、すべてに発生した事件の責任は取りようがない。

 機構・組織に参加して運営するのは個人である。いかに大きく複雑で、赫々たる存在であろうとも、機構・組織を(知らずしらずであっても)暴走させるのは個人である。スナーク氏は「永遠の恥」と語ったが、人は官僚的になりやすい。そこに注視すれば、官僚主義や官僚的気風は「永遠の陥穽」というべきである。

 民主主義制度であっても、官僚主義がはびこれば、組織は内部から腐っていく。袴田さんの再審も、たまたまイギリスの事件も重なったが、1つの見方として、官僚主義が問題の陰の主役であることを指摘しておきたい。