筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
人は期せずして名演技を見せるものだ。
記者会見で、不出馬を決めた理由を問われた二階氏が、「お前もその歳が来るんだよ」、そして小声で「ばかやろう」と続けたそうだ。
政治家特有の脂ぎった表情がすっかり消えて、いかにも憔悴然、寒山拾得の飄逸さがあれば名優であったというべきか。
それなりに闘将的であった二階氏は、目下の不如意な境遇にあって、本来ならば、闘志をめらめらと燃やしたいはずだ。しかし歳のせいでか、どうやら猛々しさが沸いてこなかったらしい。
加齢は偉大である。人は、花のうちに死にたいとか、PPK(ピンピンコロリ)で行きたいなどと格好つけたがるが、おおかたは、そうは問屋が卸さない。人は加齢に逆らえない。しかし、いや、だから口惜しい。スパッと割り切れない思いが、ついつい「お前も—」と口走らせたであろう。
少し頭を冷やせば、「お前も—」と言いたくなるような歳になったわけで、後戻りできない無念さから、「お前もその歳が来るんだよ」と、八つ当たり的愚を冒してしまった。「お前も—」というのは、自分がそうなのであるから、それを言っちゃあおしまいよ、の類である。
それにしても、二階氏が言うから、ちょっとおもしろい。それなりに笑える。そして、なにやら物悲しい。笑わせながら実は悲劇なんだというのが、お芝居の持ち味だ。
長年楽しませてもらったのだから、記者諸君が立ち上がって拍手で送れば、後味のよろしい一幕になったのであろうが。
仕方がない。記者諸君が、加齢の偉大さに気づくのは、まだだいぶ先の話であろう。たまたま、わたしは二階氏の気持ちを忖度してみた次第である。
千秋楽を満足して迎えるのは実に難しい。逆にいえば、依然としてpassage(旅の途中)なんである。
蛇足ながら、この短文は決しておちょくったのではなく、いわば、おもしろうて、やがて悲しき鵜舟哉(芭蕉)の心境とでも言おうか。