筆者 難波武(なんば・たけし)
自民党の鈴木某議員が、キックバックを文化みたいなものだと語った。
的確な表現である。
文化にもいろいろある。高質で薫り高いのもあれば、低質でなにやら鼻を摘まみたくなるのもある。
集団・組織・社会――人間が集まって活動を営むところには、必ず文化がある。言い換えれば、気風・風土・習慣と表現できる。
それはその集団の伝統でもあって、いちいち説明しなくても、そこの人々はみなその文化に染まり、格別の問題意識を持たないことが多い。
なににでも通用するが、高質なものは容易には生まれない。それは人々の知的、活動的努力を必要とするからだ。かたや低質なもの、損か得かというような単純にわかりやすいものほど集団の文化になりやすい。
政党というのは政策集団であるから、知的生産性が求められる。メンバーが知恵を絞り、汗をかくならば、政党として全体社会に認知される文化的存在になる。
損得だけで結束する集団を徒党という。自民党は優秀な人材がたくさんいることになっているが、たとえば知的であることが直ちに薫り高い文化を形成するわけではない。
知恵は社会の有益にも、排他的にも活用される。そして、いちど形成され伝統化した文化というものを変更するのは極めて難しい。
個人でいえば人間性である。人間性は営々と日々の積み重ねで形成される。優れた人間性が多いほど、その社会は素晴らしい文化をもつし、発展する。
キックバックの文化といえば胡散臭いが、その表現する世界は広範で奥が深い。事件のことはともかく、自分と社会の文化のあり様を考えるならば、有益になろう。