週刊RO通信

ウクライナ道中へらへら顛末記

NO.1503

 バカバカしい話を真面目に論ずるくらいバカバカしいことはないが、バカバカしいと切り捨ててしまえばよい話と、バカバカしいが、それを放置しておくとリスクがある問題があるので、あえてバカバカしい話を真面目に論じたい。ご大層な書き出しだが、岸田しゃもじの件である。

 格別荷物になるほどかさばるものでもないから、インドからポーランド経由隠密行動のお供に必勝しゃもじを携行したからといって、扱いが厄介でもない。その意味では、具合のよろしい手土産! である。

 必勝しゃもじをプレゼントされたゼレンスキー氏は意表を突かれたにちがいない。頭の回転のよろしい大統領だ。どんなコメントをしたのか。ライス・スプーンだから、米国の匙加減が勝負ですよという裏があるなと思っただろうか。もっとも、大統領がライスから米国を想起するわけはなかろう。

 友人は大統領と岸田氏が握手している報道写真を見て、岸田氏の表情が緩いのじゃないか。命をかけて奮闘している大統領をなにかのスポーツ選手と勘違いしているのじゃないかという。なるほど、その線で行くと必勝しゃもじのレベルと合致するのはまちがいなかろう。

 並みの日本人ならおおかたは違和感をもつだろう。国会での質問も当然の疑問である。岸田氏の答弁によると――ウクライナの方々は、祖国や自由のために戦っている。その努力に敬意を表したい――からだそうである。敬意と支援の気持ちを必勝しゃもじに託したらしい。しかし、不釣り合いだ。

 岸田氏はものごとの見方が平板である。政治的信念や政治的価値観に基づいて見る・考えるという習慣は持ち合わせていない。どうも軽い。

 運動神経もシャープではない。必勝といえばしゃもじを思い出すのは選挙戦のノリである。とにかく頭にあるのは、1に選挙、2に選挙、3,4がなくて5に選挙の類だ。それをそのまま戦争の渦中にある国の大統領にも当てはめるほどに、権力維持に必死なのだ。本音がポロリというべきか。

 なるほど、破壊と殺戮はしないまでも、わが政治家諸君は常在戦場である。一意専心、不惜身命、すなわち命懸けで政治家しているという心がけのほんの一端が出ただけだ。ウクライナの人々が戦っている祖国・自由と、自分が権力の座を保持しようという戦いは同じレベルなんであろう。

 ここまで答弁すれば質問した議員が納得しないまでも、岸田氏が必勝しゃもじに託した理由がわかるかもしれない。ただし、こんな話は、自由と民主主義を掲げて大統領に当選し、困難な状況において志を断固として貫こうとしているゼレンスキー氏に通ずるわけはない。奇妙に思っただろう。

 岸田氏は政治家としての志が低い。いまにして思えば、永年宏池会を率いているのにチームの力が盛り上がらなかった理由がわかる。そして、宏池会のエートス(?)など放り出して、安倍氏に帰順し、思想的にも踏襲してあっけらかんとしている理由も右に同じだ。

 岸田氏はふるさと意識を発揮したつもりだろう。ただし、これまた皮相的極まる。外国に対して被爆地広島出身を売りにするが、被爆者や核兵器反対を訴える人々の声・心情を理解しているとはとうてい思えない。被爆地もしゃもじも、ふるさと観光資源の扱いである。クライナでもこのセンスを押し通すところが、岸田流「マイウェイ」なんであろう。傍迷惑だ。

 ドイツは最初ヘルメットや防弾チョッキを送ってこき下ろされた。その点、かつて主婦連が消費者運動の象徴として使ったしゃもじを持参したのは、「世界からなんといわれようと、日本は平和的解決のために尽力します」という決意を表明したのだろうか。それなら、あえてわたしは岸田氏と一緒になってバカ扱いに対して弁護してもよろしいが——

 政治家の手土産なんてものは、モノ自体がささやかであっても、相手の琴線に触れる情感、機知、ユーモアが大切だ。ぬるぬる、べたべたした『東海道中膝栗毛』的戯作者センスはあっても、国境を越えた機知、ユーモアのセンスは容易に育たない。岸田氏は、本当にセンスがわるい。人情に対して鈍感すぎる。一方、権力支配に関しては執念深いようだ。

 この際、広島G7サミットを無難に始末して花道にするのが最善の選択である。へらへら、厚みのない政治家はトップの座が似合わない。