論 考

ダメな候補は落とすしかない

 統一地方選挙が始まった。

 新聞社説を見ると、「地域の再生を論じ合う機会に」(読売)、「地域の持続性考える機に」(毎日)と、似たり寄ったりで、中身の薄さもご同様だ。

 実際、地方選挙で前述ごとき大課題! を候補者が論じるわけがない。第一、そこまで勉強している人がいない(と思う)。

 わが事務所は小田急・地下鉄の駅が並んでおり、さしたる広場はないが、候補者がよく街宣に来る。遺憾千万なことに、社説が主張するような堂々たる論理を展開する人は今のところほとんどいない。酷い人に至っては、演説するのかと思いきや、ほとんど自分の名前を連呼している。

 中年以下の人が多いが、どういうわけか、新人連中は頭が高い。これ、選挙戦ではいちばんのタブーだが、あたかも教えてやると言う態度である。傾聴に値する内容であればまだしも、中身がない話を大音響で流されてはたまらん。

 区議会議員であっても、相当エライ存在だと思っているみたいである。困ったものだ。議員がエライのではなく、どんな仕事をするかが勝負なのに、仕事をする前からエライのだから厄介だ。

 選挙は、パフォーマンスが目立つようになった。悪い習慣である。中身がなくてもキャッチコピーを並べてごまかす。こんな手合いはスッパリ落選させるのが大事だ。

 社説もきれいごとを並べるのではなく、「程度のわるいのは落とせ」(ここまで露骨に言わずとも)くらいの、現実を見据えた本気の主張がほしい。きれいごともまた、悪しきジャーナリズム的忖度の一種である。