論 考

中国の外交を批判できるか

 新聞社説は軒並み、訪ロした習氏が侵略を止められなかったと批判する。その通りであるが、まさか、事前に習氏がプーチンに対して、とにかく軍を引けと語るなどと予想したわけではなかろう。

 米国は、中国が公平な仲裁者になれないとコメントした。自身は実質戦争当事者であって、公平もなにも仲裁などやる気がない。米国はロシア弱体化を求めて戦争継続を望んでいるという分析もある。

 中国は、ウクライナに相当の投資をしているし、両国と付き合いがある。和平協議を促したいのは本音である。しかし、両国とも停戦を望んでいない。公平にやろうとしても、現状ではやれることには限界がある。

 そもそも最初から中国をロシアと一蓮托生として無礼な扱いをしたのは米国である。少なくともウクライナ戦争について、中国は中立を維持してきた。

 仲裁をやる気がない米国が中国を公平な仲裁者云々できるものか。

 プーチンの言い分には、ベトナムでも、イラクでも、米国は国連を無視して好き放題やってきたじゃないかという、自分なりの理屈がある。

 中国がロシアの侵略に不快感をもったのは事実である。ただし、それでロシア批判に回るのは、米国のダブルスタンダードを実質的に許容することだ。誇り高い中国には米国流を唯々諾々飲めるわけがない。

 国際秩序といえば、米国の言う通りというのが日本的感覚だが、これは論理的に正しくない。米国外交の傘の下の日本外交を是とするなら、それでよろしいのだろうが、少なくとも、国際政治の分析としては公平性を欠く。

 要するに、中国が鮮やかに停戦へ進められなかったからといって、偉そうに批判する資格は日本にはない。この程度の見識がない日本の新聞論調を憂う。