政府が、労働政策に取り組むのは、昔を回顧すれば前進というべきなのだが、わたしは、どうも素直に歓迎できないのである。
労働政策の視点には2面性がある。1つは労働を管理する側であり、他方は働く側である。
もちろん、法律化するとなれば、両者が納得できる内容に煮詰めていくのだから、両者が完璧に納得できなくても、妥協できるものであればよろしい。
その際、発せられる経営側の考え方と労働側の考え方が、それぞれの内部においてどの程度煮詰められたものであるか。
仮にどちら側であっても、その見解が不十分なものであったら、作られる法律が、またぞろ新たな問題を発生してしまう。
わたしの見るところ、労使対等の労使関係は残念ながら少ない。
昔、たとえば労働基準法の規定は、労働側からすると、最低限の水準であって、労働協約ではもっと高い条件をめざすのであった。
「もし、実業家だけが産業条件に対して意見を述べるのであれば、いかなる国家も、労働時間について正しい立法をしえないだろう」(H.J.ラスキ)の単純な指摘を、わたしは無視できないのである。