月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

秘書官の失言は政権の本音ではなかったのか?

高井潔司

 首相側近の荒井秘書官が、LGBTQなど性的少数者や同性婚のあり方をめぐる失言で、更迭された。「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などといった差別的な発言が問題となった。

 秘書官の発言は、発言者の名前を明らかにしないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を前提にした取材の場で行われた。しかし、毎日新聞はこの発言を社会的に重要であり、実名で報じるべきと判断し、事前に本人に断った上で、まずインターネット上で報道した。その後本人が釈明の記者会見をしたので、他社もこれに追随して報道した。

 毎日新聞の報道はいわゆる‟オフレコ破り“である。そのお陰で失言が暴露された訳だが、皮肉なことに実名報道されたために発言者の責任だけが問われ、政権の本音と見られるのを恐れた岸田首相が、珍しく素早い対応を見せ、解任した。トカゲのしっぽ切りで決着したかにみえるが、問題の本質は政権および与党のLGBTQに対する姿勢にあるのではないだろうか。

 この問題では、日頃、新聞、テレビなどのマスコミに対する批判が目立つインターネット上では、毎日報道は「ルール違反」とバッサリ切り捨てる非難があった。しかし、この問題は単なる「ルール違反」という問題ではない。違反する側が違反と知りつつ、しかし、公開することがむしろ報道の責任であり、社会的利益になると判断して報道した。したがってその判断の妥当性について議論し、その是非を判断する必要があろう。実はオフレコ破りの問題は間歇泉(かんけつせん)のように発生している。報道各社の姿勢も様々で、個々のケースに沿って議論することが望まれる。

 オフレコ取材とはどういう取材か。毎日はなぜオフレコ破りが必要だったのかを検証する記事の中で、まず通常の取材(オン・ザ・レコード)との違いをこう説明している。

 ――オフレコでは「記者は取材中に録音やメモをしないのが原則だ。取材対象と記者の合意で成り立っており、聞いた話を一切公表しない場合もあれば、匿名で報じる場合もある。岸田内閣の首相秘書官へのオフレコ取材は「首相周辺はこう語った」などの形で記事に引用でき、3日夜に首相官邸であった荒井氏への取材もこれに該当する。――

 テレビのニュースショーなどで、よく吹き替えの声で「政府関係者は」とか「与党幹部は」といった形でコメントを流すケースがあるが、このオフレコ取材から出てきたものだ。公式の会見での不足を補ったり、政権の本音を示唆するケースが多い。記者にとって、手軽にコメントが取れるのでオフレコ取材は便利であるが、匿名報道なので、問題発言であっても責任は問えないし、問われない。政府高官や与党幹部とってはその機会を通し、様々な情報の根回しをやっておいて、記者たちの思わぬ批判報道を和らげる効果も期待できる。メディアをうまく誘導できる効用があるから取材に応じるのだ。

 毎日の検証報道によると、「当日の取材では、岸田文雄首相が1日の衆院予算委員会で同性婚の法制化について「社会が変わってしまう課題だ」と答弁したことがテーマになり、荒井氏から「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」など一連の発言が出た。現場には毎日新聞を含む報道各社の記者約10人がいた。首相秘書官は政策立案や首相の国会答弁の調整に携わる重要なポストだ。性的少数者を傷つける差別的な発言は、岸田政権自体の人権意識に関わる重大な問題だと考え、荒井氏に実名で報じると伝えた上で3日午後11時前に記事を配信した」という。

 荒井秘書官は毎日の通告を受けて、今度はオン・ザ・レコードの記者会見を開き、「それは個人の意見であって、今の公職においての意見では全くなく、完全にプライベートの意見でしたが、ただプライベートの意見であってもこういうポストにある人間が、個人的な意見を言うのは望ましくないというところは、全くおっしゃる通りだったので、そこについて完全に撤回をさせていただきます」と釈明した。

 しかし、当初のオフレコ会見は、決して茶飲み話でも、個人的な意見の表明の場でもなかった。岸田首相の国会での発言の背景ブリーフィング(説明)である。「社会に与える影響が大きい。マイナスだ。秘書官室もみんな反対する」とまで言っているのだ。

 そもそも自民党の主流保守派が、LGBTQ理解増進法案の成立にさえ積極的でない。LGBTQに対する感情の問題があるからだろう。荒井秘書官はその状況をストレートに口にしてしまったのだ。この法案は、差別の禁止法案でも、同性婚を認める法案でもない。国民の間にあるLGBTQに対する悪感情をやわらげ、それから差別禁止法などに繋げようというものだ。西側先進諸国に比べ何とも遅々たる歩みである。

 本来、こんな回りくどい方法ではなく、LGBTQの人たちにも基本的人権を平等に認めるべきであり、秘書官の失言問題は、そのレベルでもっと議論を促すいいきっかけだった。問題は、好き嫌い、気持ち悪いかどうかといった感情の問題ではなくて、少数者の権利を認めるという人権の問題だ。

 岸田首相は、発言の翌日、「荒井秘書官の発言は政権の方針とは全く相いれない。言語道断」と秘書官を解任した。それならば、少なくとも理解促進法案くらいは今国会で採択してもらいたいものだ。

 与党や保守派に与する新聞社は、このトカゲのしっぽ切りを支持する。読売新聞は社説で「首相秘書官更迭 重責を担う自覚を欠いていた」と問題を秘書官個人の責任にした上で、「一方、オフレコを条件にした発言が報じられ、要人の更迭人事に発展したことは気がかりだ。オフレコ取材には、政策決定の背景などを知る狙いがある。毎日新聞は5日付朝刊で、今回の経緯について荒井氏の発言を『重大な問題だと判断し』、『荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えたうえで』、記事をニュースサイトに載せた、と説明した。

 本人に伝えれば、オフレコも一方的に『オン』にして構わないよというなら、オフレコの意味がなくなる。取材される側が口をつぐんでしまえば、情報の入手は困難になり、かえって国民の知る権利を阻害することになりかねない」と、毎日新聞のオフレコ破りを批判している。

 これに対し、毎日の検証記事は、「記者が排除を恐れて取材対象に迎合するばかりでは、オフレコ取材はなれ合いの場に転じ、それこそ知る権利は形骸化してしまう」と、読売社説に反論していた。ちなみにオフレコ破りをしたのは女性記者だった。

 関連の記事をインターネットで検索していたら、10日の読売オンラインに掲載されていた同社調査研究本部の舟槻格致主任研究員の「オフレコ取材の意義と国民の『知る権利』損なわぬ配慮を」を見つけた。この記事は、前出の読売社説の範囲から出てはいないが、「機微情報を書かれたくない政治家と、なるべく多くを読者に伝えたい記者とのせめぎ合いの中から、均衡点が導かれる」とその限界点をうまく図示し、「オフレコ取材の際も、できるだけソースを明らかにするための努力は欠かせない」と取材現場の葛藤を伝えていて、共感を持って読めた。現場の葛藤を理解せず批評している私とってはいい薬であった。彼の結論はこうだ。

 ――読売新聞は、2001年5月に制定された「読売新聞記者行動規範」で情報源の秘匿を「最も重い倫理的責務」と明記し、「オフレコの約束は、厳守しなければならない」と求めている。同時に規範の「解説」の中で「守ることのできないようなオフレコの約束は、安易にしてはならない」とも要求している。発言をオフレコにしたがる政治家の要請に常に応じるべきではなく、できるだけ読者に情報を届けるようにするには、葛藤が日々求められるということにほかならない。――

 ただし、「読売新聞記者行動規範」の引用に関して、付け加えなければならない。規範は、オフレコ問題の前段では実名・匿名の問題について、こう書いている。

 「取材は、一から十まで『実名』の世界であるべきだ。……一方、報道の方は、実名が基本だが、匿名もありうる。その判断は、報道機関がする。……情報にかかわる人物は、情報源自身を含め、実名でなければ、そもそも情報の信頼度は測れず、事実を見極めていくことなど不可能である。」

 報道機関が匿名にするのは、実名にすることによって、情報源の生命や財産、地位などを危うくするケースに限られている。それは報道機関が判断すると規範は述べている。

 オフレコに関しても舟槻解説は微妙に違っている。私の持っている規範(その後改正された可能性もある)にはこう書いている。

「『オフレコの約束』も厳守しなければならないが、同時に、安易にオフレコの約束も慎むべきだ。」舟槻主任研究員はオフレコ破りを戒める点に重点を置かれているが、私の持っているバージョンでは、オフレコ報道に対する戒めに重点をを置いている――というニュアンスの違いがある。オフレコ取材に安易に応じることで本当に国民の知る権利が果たせるのか。一番、そこを聞きたい。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。