30年も昔、高齢化社会シンポジウムで、同席していたH教授が「すべての道はローバに通ずる」とやって、男女半々500人の参加者を沸かせた。
まことに巧みな駄じゃれである。ローマと老婆をかけたわけだ。
女性のH先生は、しばしば寸鉄人を刺す言葉を駆使される。ただし、この場合男性が話したとすれば、問題発言として解釈される危惧がある。
ローマに語呂合わせで老婆を重ねたのだが、老いるのは男も女も同じである。たまたま老婆を使ったのであって、実体は老爺も同様と暗黙の合意が成り立っていれば問題はない。
誰もが1人残らず老いさらばえるという生物の実態において、PPK(ピン・ピン・コロリ)などと呪文を唱えるのは意味がありませんよ、と辛口の発言をされたわけでもあった。
しかし、男女差別、ジェンダー差別というカテゴリーからみると、ちょっとお待ち、偏見じゃないのという批判が出るかもしれない。
とにかく、笑ってもらう工夫をするのも、それを聞いて笑うのも、それなりに品位と識見を要する次第だ。
今朝の読売社説は、例の更迭された首相秘書官について、「重責を担う自覚を欠いていた」と指摘した。役割自覚の前に、問題の本質をつかんでいなかったのが問題だろう。立場論ではない、本質論なのだ。