今年の夏休みは、これまで勉強して来た「大正デモクラシー期の中国論」をまとめる本の執筆に充てた。
大正期は、普通選挙の実施など国内でデモクラシーを大いに推進したが、対外的には帝国主義的侵略への芽を育て、やがて軍部の独走によってデモクラシーそのものも解体してしまう昭和を準備した時代である。その中で、戦前の日本人研究者やジャーナリストの中国論はどんな役割を果たし、どんな運命を辿ったのかを、様々な関係書、資料、新聞記事を調べ、まとめてみた。
これまで私の書く本は売れた試しがない。内容はそれほど悪くないはずなのだが、1992年の処女作『甦る自由都市 上海』なんか、本当に今の上海を予言するような内容で先見の明があったと思うのだが、どうもタイミングが早過ぎる上に、読者の中国に対するイメージが古くさくて、私が描く中国の発展のスピードについて来てくれない面がある。そういうわけで、今回も出版社が最初から付いていないし、これ以上出版社も迷惑もかけられないので、ある団体の出版助成に応募した。
最近の出版界の不況は深刻だ。よほど世間の話題にのぼるような本以外は売れないのが実情。こんな本、出版されても誰が読んでくれるんだろうか。まあ私の学生は、プレゼントしても読んでくれないだろうなと筆もなかなか進まない。でも応募には締め切りがあり、何とか、量だけはこなし、あとは校正段階でしっかり調整しようと、間に合わせた。
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そういうわけで鬱陶しい今年の夏の大半は自宅に籠り、ようやく仕上げ、終盤は、数年越しの課題だった北海道の日高地方にあるアポイ岳登山に挑戦した。
アポイ岳は特異な地形、気象条件からここにだけしか生息しない高山植物に恵まれ、また周辺の海や山も一望できる人気の山だ。数年前にはユネスコのジオパークに指定されている。「数年越しの課題」というのも、前々から北海道の友人から勧められていた。海抜800メートル程度の大したことのない山だが、海に近いところから登る上に、特異な植生を作りだすかんらん岩などの岩や石だらけで、70歳手前の私には悪戦苦闘だった。でも登山途中の景観は雄大で、かつ岩肌に咲く清楚な花々は、疲れを和らげてくれた。
北海道もここまで足を伸ばしたので折角だからと、登山の後、えりも岬や新冠町のサラブレッド銀座と呼ばれる競走馬の牧場が延々と続く街道などをドライブした。広大な原野を背景に、馬が草を食む光景は、如何にも北海道らしい景観だ。ときどき野生のシカが顔をのぞかせる。ツアー客や中国人観光客も少なく、北海道旅行を満喫できた。
中でも圧巻だったのは「太陽の森ディマシオ美術館」だった。普段、美術館などに全く興味のない私だが、土産を買う予定の「道の駅」が朝10時にならないと開かないため、同行した女房が「ちょっと寄ってみない?」と言い出して向かうことにした。
新冠町のパンフレットにはこうある。
「廃校となった小学校を活用し、幻想的な絵画の鬼才として有名な、フランスのジェラール・ディマシオ氏の作品を多数展示しています。一番の見所は、高さ9メートル・横27メートルもある世界最大の油彩画で、その大きさに驚く上、天地左右に鏡張りが施され無限の世界を演出、多くの方に感動を与えています」
しかし、市街地から約20キロ、日高山地をどんどん上り、向かう車もいなければ、人家も無くなる。「もう道の駅は開いたよ。あきらめて帰るか」と思わず声を挙げたが、同行者の二人は「折角ここまで来たんだから」とあきらめない。
到着してみると、廃校どころか、綺麗に修復された白壁と赤い屋根の欧風の建物で、庭には洒落たオブジェが点在している。そして、何より圧倒されたのはやはり世界最大の油彩画。レオナルド・ダビンチなどルネッサンス期の絵画を思わせるような筆致だが、宇宙の創造、生命の誕生から地球の未来図を組み合わせたような幻想的な絵である。100点前後の彼の作品が展示されているがほとんどが無題で、見る人の想像力にゆだねている。すべての作品に動きがあり、迫力があり、見る人に、宇宙とは、人間とは何か、と問いかけているかのようだ。
美術専門家でない私にとって、何とも説明できないのが、もどかしいが、皆さん北海道に行くことがあったら、ぜひ訪ねて味わって頂きたい。この美術館が東京や大阪にあったら、きっと連日長蛇の列が続くに違いない。
なぜこんなところに、こんな美術館がというなぞだらけだったが、そんなことはどうでもいいことで、ディマシオの絵と対面することが大切だ。
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というわけで、今月号は、とりとめのない夏休み報告になってしまったが、北海道旅行はいつもサプライズがある。札幌に戻って北大裏の駐車場に車を止めたら、車の後ろのクルミの木の幹から「キー、キー」という音がする。何かと思って見上げたら、二匹のエゾリスが現れたのにも驚いた。札幌駅から徒歩5分の市街地の出来事だ。
帰京した翌朝、NHKでは、えりも岬上空を北朝鮮のミサイルが飛び越えて太平洋に着弾したというニュースで持ちきりだった。「…分析を急いでいます」、「…厳正に対処します」、「…一致して圧力を強化します」の連続だった。何も心に響くものがなかった。
高井潔司
桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授
1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。