論 考

面白い公共広場

 マスク氏が440億ドルで購入したツイッターは、未公開企業になった。同氏のフォロワーは1.2億人いるらしいので、自分自身の考え方を宣伝するには安い買い物なのかもしれないが、逆に、ツイッターを公共財として運用するとなれば、氏個人としては高い買い物だろう。

 いままでの発言を仄聞するに、マスク氏の世の中に対する考え方が、どうもすっきり理解できない。

 「ディジタル街の公共広場」にするという。公共=世の中には、いろんな人がいるから、社会としては歓迎しない人もいる。この場合、嘘つきやデマゴーグ、いわゆる炎上を楽しみたい人などである。

 マスク氏はツイッターを「面白い空間」にしたいようだ。面白いのは結構だが、なにをもって面白いというかどうか。なにしろ嘘やデマゴーグは面白い!

 氏は民主主義者だというが、日米の民主主義態勢は大きく違う。日本は、公正・公平をイメージする人が多い。アメリカは、決定的に自由信奉であり、マスク氏は民主主義者というよりも単純な自由主義者のように見える。

 つまり、空間に人々がなにを語るのも自由、当然ながら、嘘やデマゴーグもある。それらの真贋、有益有害を決めるのは、ツイッターに参加する1人ひとりに責任があって、空間管理人たるツイッター社は責任を持ちませんよという。不適切な投稿の監視・削除(コンテンツ・モデレーション)から手を引こうとする。

 もちろん、1民間企業が、投稿者の思想選別をするのが是か非かという問題もあって、ツイッターがそれをやるのは不遜だという見方もある。

 外から見ていると、トランプ氏の投稿は嘘や行き過ぎが多い。フィリピンのマルコス氏は、歴史の事実を平然と引っくり返した。

 公共というが広場が収拾できない混乱に陥いるようなことがあると、閉鎖する手もある。ツイッターが本当に必要なのかどうか。それもユーザーのみなさんにどうぞ選択してくださいという地点まで考えているのだろうか。

 そうだとすると、場合によっては440億ドルをポイということもあるわけで、部外者としては、なるほど面白い。