週刊RO通信

政治とは極めて危険なものだ!

No.1212

 かの敗戦後は権力者に騙されていたという恨み節が流行った。恨み節の理由は敗戦である。日本人が310万人亡くなったが、もし、勝利したのであれば、恨み節が登場することはなかったかもしれない。

 敗戦を決定したときの首相・鈴木貫太郎は戦後のインタビューで、「軍略的に日米戦は不可能だが、おかしなもので、誰も欲していなくても、(戦争というものは)自然の成り行きで起こることが多い」と語った。

 素直に理解するとしよう。開戦の大号令を発した国の権力者たちの誰も開戦を欲してなかった。ましてや、開戦後の大騒動も単なる成り行きに過ぎない。恨むなら運命を恨め。権力者に騙されたなんて逆恨みだというわけだ。

 かくして、戦争責任を問おうとしても、問うべき対象がない。勝てば官軍で称賛するではないか。たまたま負けたのである。勝負ごとだから勝つこともあれば負けることもある。——なんともはや、無責任この上ない!

 ただいま政権中枢にある安倍氏は「政治は結果責任である」としばしば語る。しかし、結果責任論からすれば、責任を取る者がいなくてはならない。

 ところでA級戦犯で処刑された諸氏は、戦勝国の無体な裁判の犠牲者である。戦犯の濡れ衣なのであって、本来、日本国のために粉骨砕身尽力されたとして衷心より感謝と哀悼を捧げねばならない。というのが、安倍氏らの考え方である。いったい、結果責任とはなんの意味があるのだろうか?

 かくして、わたしが到達した結論だ。「政治は結果責任である」というけれども、正しくは、結果について誰も責任を取らないのであるから――政治とは極めて危険なものである――と理解せざるをえない。

 さらにいえば、恨み節を語った先人たちの恨みの対象は吊り輪みたいなものであった。ぶら下がっていた吊り輪がプッツンして、床に投げ出された。ああ、痛かった! でお仕舞。痛みもやがては消えていく——

 日米外相・防衛相の2+2会議が日本側の要請で開催された。北朝鮮の非核化・ミサイル開発阻止で圧力をかける。こちらのミサイル防衛能力を向上させる。制裁決議を厳格に履行する。南シナ海の深刻な懸念を共有する。

 北朝鮮の脅威に対して日米同盟を強化する。米国は核兵器を含めあらゆる戦力で日本防衛に関与する。両国は自衛隊の役割拡大で合意し、日本はイージス・アショア(陸上防御)800億円を2基導入する。

 ティラーソン国務長官は「北朝鮮との対話は望ましいが、有意義な場合に限る」「話し合いでは過去のものとは異なる結論を出すという認識の下、協議への参加を北朝鮮に促していきたい」と語った。

 河野外相は「インド太平洋地域沿岸国を対象に、海洋安全保障能力の構築を支援するために、2019年までに約5億ドルを援助する」と語った。4者の笑顔の握手は、商取引の感じがしないでもない。

 非核化・ミサイル開発阻止というけれども、すでに開発しているではないか。北朝鮮は、核とミサイルが体制保持の対米対等取引に不可欠と考えているから、圧力をかけても「はい、そうですか」と放棄しない(できない)。

 対米軍事力の絶対的格差があるくらいは、北朝鮮とて知らぬわけがない。いわば窮鼠猫を噛む、かつての日本流「玉砕すべきも、瓦全するあたわず」の構えである。ホールドアップして出てくるとは思えない。

 ティラーソンの「有意義な場合」とは、朝鮮戦争を終結するという意味があるのか? とりあえず「これ以上の挑発はいたしません」と回答すれば対話に応ずるのか? 北の金さんでなくても、4者の結論の意味が不明だ。

 これでは対話呼びかけというよりも軍事的戦略ばかりが目立つ。しかも、ホワイトハウスは世界中に、閣内不一致、管制塔不在をさらけ出している。軍事力で恫喝するのではなく、確かな外交メッセージを送るのがスジだ。

 武力衝突回避の外交プロセスが欠落している。さらに、これでは曲りなりにも平和憲法を掲げている日本外交らしさが全くない、それどころか、わざわざアメリカ詣でして、緊張激化のためのご注進に及んだようなものだ。

 政府与党は、対北朝鮮問題の解決に本気があるのか? 対北外交努力らしきものが見えない。政治家を統御する国民が不在で、政治家が軍事力依存を強めるとき、危険な政治がますます危険になる。歴史の教訓だ。