週刊RO通信

出直し春闘の視点

NO.1482

 連合が2023年春闘の要求を定昇込み5%程度にするらしい。少なくとも、従来以上に物価上昇を意識して、「春闘らしい春闘」に近づけようという考えが感じられるので、OBの1人としては、その意欲を買いたい。

 筆者が春闘に直接関わったのは1964年から1982年までだから、だいぶ昔の話で、連合時代とは異なって、労働4団体(総評・同盟・中立・新産別)が勢力を競っていた時代である。大同団結論からすれば、4団体に割れているのだから効率がよろしくないという見方ができるが、結果論からすれば、まちがいなく連合時代よりも活気があった。よい意味でも悪い意味でも4団体が競争的に賃上げ相場を押し上げたといえる。

 筆者が戦後の飢餓賃金時代モデルである、「賃上げ=春闘=組合活動」という単純な図式に疑問を抱いたのは、1970年代半ばである。1974年春闘は、石油ショックと物価上昇が重なって30%超の賃上げであったが、よく見れば、世界の価格体系が変更したのであって、名目30%超賃上げでも、実質は2%程度であった。それも引き続く物価上昇で直ぐに消えた。

 当時は、賃上げが物価上昇の元凶だとする宣伝が政財界から派手に流された。物価が先行するのか賃上げが先行するのかという議論も賑やかであった。働く現場の意識は、そんな宣伝に動かされなかった。夫婦共働きよりも主婦専業が多かった(もちろん内職・パートで働く女性は少なくなかった)が、家計を預かる主婦も突き上げる! 執行部が会社業績の苦境を説明すれば、「わしの生活はもっと苦しい」と突っぱねる組合員が多かった。

 もちろん、それから半世紀近くだから、賃金構造も変わっているし、当時と事情が大きく変わっている。1980年代には相当賃金水準が上昇したことになっている。この30年余、ほとんど賃金が上がらなくてもなんとかやれたのはその辺りの事情を反映している。

 しかし、現実は結構な生活ではない。一言で表現すれば、安定した雇用に就いているだけ幸せと思おうという辺りであろう。不安定雇用の非正規社員だけではない、結構なはずの正規社員も目下の立場にしがみつくのがやっというのが多数派である。多くの説明は不要だろう。会社生活における人々の元気のなさを見ればおおかたは想像できる。

 たまたま連合会長は女性初である。古い時代の表現をすれば、家計簿とにらめっこする主婦の代表だと言えなくもない。是非とも、新境地を開拓してもらいたい。しかし、心積もりと気合だけでは運動を起こせない。組合組織率が低下したとはいえ、連合は組合員700万人だ。700万人を動かす知恵と段取りが必要である。連合運動をピリッとさせよう。

 岸田氏が「新しい資本主義」という中身のない風呂敷を広げた。資本主義においては仕組み上、賃金は労働力の対価である。会社にとって賃金はコストであり、賃金は利潤と対立する。労働力の対価=商品であるが、誇り高い世界の労働組合は「労働力は商品ではない」ことを宣言した。つまり、商品=モノと一緒くたにされてたまるかというのである。しかし、さまざまの商品は値上がりするのに賃金は上がらない。これでは自分が作るモノ以下だ。

 働く人々は働くことに自負と誇りをお持ちであろう。自分の貴重な時間を労働に投入するのである。自分が納得できる貴重な時間の対価を、自分自身が要求してこそ、初めて労使対等の賃金交渉が開始する。これを、労働の本山たる連合には頭に叩き込んで2023年春闘に臨んでもらいたい。

 連合傘下の産別は、産別加盟組合に対して、賃金交渉のための勉強会・職場集会を大々的に開催するように声をかけ、全組合員参加の賃金交渉態勢を確立させたい。それでも賃上げの声が出ないのであれば、組合員は結構なお金持ちである。まあ、少しはそのようなお大尽もおられようが、圧倒的多数は、待ってましたとばかり集会に参加して発言する層であろう。

 まずは、みんなが日ごろの存念をお互いに話し合う。職場集会という言葉自体、さいきんはほとんど聞かれない。これでは、元気が出ないのが当たり前だ。組合機関要員だけの活動を組合活動とは言わない。組合活動とは大衆運動である。運動を組織せずして賃上げ交渉の勝利はありえない。反転攻勢を作る。みなさまの善戦敢闘を期待いたします。